小屋 (大谷吉継妹)
概要
編集大阪城で倉の管理を任されていたと伝わる。『兼見卿記』によると、文禄4年(1595年) 1月25日に、太閤秀吉の道具が倉から盗まれた。御倉番を務めていたのが東殿息女(小屋の事)25歳とあるので、生年は元亀元年(1570年)と考えられる。その後、失せ物の件については太閤秀吉より不問にされた。
『華頂要略』によると、天正20年(1592年) 青蓮院に、大谷刑部少輔妹コヤから美濃紙50帖が進呈された。
文禄2年(1593年)、太宰府天満宮に吉継が寄進した鶴亀文懸鏡の銘には母の東殿と共に小屋、小石、徳らの名が見られる[2] [3]。ちなみに4人の名前の記載順は、東・小石・徳・小屋。
参考文献
編集- 『福岡県の美術工芸品 I 』(福岡県教育委員会、1981年、70p)
- 『図錄太宰府天満宮』(太宰府顕彰会 、1976年、205p)
脚注
編集- ^ “乱世に義を貫く-名将大谷吉継の実像-”. 2023年1月29日閲覧。
- ^ 福岡県教育委員会 1981, p. 70.
- ^ 太宰府顕彰会 1976, p. 205.