小寺 就茂(こでら なりしげ)は、江戸時代前期の武士毛利氏の家臣で長州藩士。父は内藤就正で、嫡男が早世した小寺元茂の養子となる[1]

 
小寺 就茂
時代 江戸時代前期
生誕 寛永元年(1624年
死没 元禄10年1月15日1697年2月6日
または元禄10年1月19日1697年2月10日[1]
別名 通称:又十郎→八郎兵衛→忠右衛門[1]
主君 毛利秀就綱広吉就吉広
長州藩
氏族 内藤氏小寺氏
父母 父:内藤就正[1]
養父:小寺元茂[1]
兄弟 就茂友茂
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生涯

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寛永元年(1624年)、長州藩士・内藤就正の三男として生まれる[1]

年不詳だが、小寺元茂の嫡男・小寺就信が早世したため、就茂が小寺元茂の養子となった[1]

慶安4年(1651年8月4日に養父の元茂が死去し[1]家督を相続する。

元禄10年(1697年1月15日、または、1月19日に死去[1]。享年74。小寺友茂が後を継いだ[1]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『閥閲録』巻46「小寺忠右衛門」家譜。

参考文献

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