小千谷ふるさとの丘ユースホステル
小千谷ふるさとの丘ユースホステル(おぢやふるさとのおかユースホステル)は日本ユースホステル協会に加盟している新潟県のユースホステル。客室数4室で、食事は魚沼産コシヒカリや地場野菜、山菜を中心とする[2]。
小千谷ふるさとの丘ユースホステル | |
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Ojiya Furusatonooka Youth Hostel | |
2021年3月 | |
所在地 |
〒947-0211 新潟県小千谷市 小栗山(寺沢)2063 |
定員 | 14人 |
開館 | 2002年4月27日[1] |
休館 (長期) | 2004年10月23日 - 2005年12月16日 |
公式サイト |
ojiya-yh |
旧公式サイト |
www5d |
関連サイト | JYH協会内ページ |
テンプレート |
歴史
編集運営者は大阪出身で、大学卒業後に就職した会社を2年で退職、日本一周の自転車旅行中に投宿したユースホステルがきっかけで田舎暮らしに憧れるようになる。その後長野県で再就職するが馴染めず退職、2000年に小千谷で築100年の民家を買い取り自力で改造、2002年4月にユースホステルとして開業した[3]。
しかし2004年10月の新潟県中越地震で建物が半壊、運営者も体育館での避難生活であったが[4]、常連客の支援を受けながら修復され、2005年12月17日に営業を再開した[5][6][7][8][9]。
再開後、ユースホステル近くの闘牛場のそばにある巨岩の名称を闘牛振興協議会が募集、運営者が応募した「みまもり岩」の名称が復興の象徴として選ばれた[10][11][12][13]。
設備
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- 個人や小グループに適している
- グループで一室利用可
- 余裕があればグループで一室利用可
- 駐車場あり
- 洗濯機あり
- 乾燥機あり
- 荷物預かりあり
- 周辺にスキー場あり
- 周辺に温泉あり
アクセス
編集脚注
編集- ^ 日本ユースホステル協会: ユースホステル最新情報 - ウェイバックマシン(2002年8月4日アーカイブ分)
- ^ 「2014夏 こんな宿ど〜や<2> 小千谷ふるさとの丘ユースホステル(小千谷) 談話室での団らん魅力」『新潟日報』2014年8月15日付朝刊15面。
- ^ 「いらっしゃい 新潟県(1) コツコツと YH開業」『東京新聞』2008年11月14日付朝刊10面。
- ^ 「いらっしゃい 新潟県(2) 窮状救った“YHファン”」『東京新聞』2008年11月21日付朝刊9面。
- ^ 「新潟中越地震 被災した小千谷のユースホステル、1年2カ月ぶり再開」『毎日新聞』2005年12月18日付23面(福島)。
- ^ 「地震被災のユースホステル 自力で修復、再開祝う 小千谷」『新潟日報』2005年12月19日付朝刊25面。
- ^ 「被災した小千谷のユースホステル 夫婦が自力で修復、再開 常連客と再会」『読売新聞』2005年12月20日付東京本社朝刊35面。
- ^ 「中越地震で被災の宿、励まされ再開 小千谷のユースホステル」『朝日新聞』2006年1月26日付東京本社朝刊31面(新潟)。
- ^ 渡辺暢「あしたはいい日 新潟中越地震 小千谷ふるさとの丘ユースホステル」『毎日新聞』2006年2月11日付23面(新潟)。
- ^ 「小千谷「牛の角突き」千秋楽 熱戦、紅葉震わせて」『新潟日報』2007年11月5日付朝刊24面。
- ^ 「中越地震でひび、大岩の愛称「みまもり岩」に」『読売新聞』2007年11月5日付東京本社朝刊31面。
- ^ 「新潟中越地震 復興の碑、闘牛場そばの大岩 名称「みまもり岩」に 小千谷」『毎日新聞』2007年11月6日付21面(新潟)。
- ^ 塚田朋弘「魚沼 春夏秋冬 ひと紀行 卯月 気持ち 新たに □3□ 仲間の応援糧に再出発」『新潟日報』2008年4月24日付朝刊16面。