尋有(じんう、生没年不詳)は、鎌倉時代天台宗の僧。日野有範の次男であり、親鸞の弟。

尋有
(生没年不詳)
法名 尋有
宗旨 天台宗
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生涯

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幼くして比叡山に登って出家した。弘長2年(1262年)に親鸞が死去した場所は尋有の住坊「善法坊」と伝えられている。善法坊跡地は現在は京都市中京区柳馬場通御池通上がる東側の京都市立柳池中学校の敷地内になっており、「見真大師遷化之旧跡」の石碑が明治21年(1888年)に建立されている[1]

系図

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略系図出典

  • 洞院公定撰『尊卑分脈』
  • 佐々木月樵 編『親鸞伝叢書』「本願寺系図」
  • 『真宗の教えと宗門の歩み』真宗大谷派宗務所出版部、第4版
  • 今井雅晴『如信上人』 真宗大谷派東京教務所、改訂版
  • 平雅行『歴史のなかに見る親鸞』
  • 同朋大学仏教文化研究所 編『誰も書かなかった親鸞-伝絵の真実』

脚注

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注釈

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  1. ^ a b c d 経尹、範綱、有範について、『尊卑分脈』と『本願寺系図』とでは関係が異なる。本図は『本願寺系図』に依拠する。
  2. ^ 藤原範綱(日野範綱)…親鸞が得度(入室?)する時の養父。
  3. ^ 恵信尼…三善為教の子。諸説あり。
  4. ^ 小野宮禅念 - 覺信尼の後夫。
  5. ^ 藤原広綱 - 覺信尼の前夫。死別。

出典

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  1. ^ 「見真大師遷化旧跡」(2024年5月閲覧)。
  2. ^ (九条兼実の娘?) - 『日野一流系図』に、宴意(改印信)の母について「後法性寺摂政兼実公女」(九条兼実の娘)と記されている。兼実の日記『玉葉』に、兼実に2人の娘が記され、1人は後鳥羽天皇中宮宜秋門院任子で、もう1人は4歳で亡くなっている(本願寺史料研究所報 第26号、平松令三「西本願寺蔵 古本本願寺系図について」P.8、参照。)。
  3. ^ 印信 - 『日野一流系図』に、親鸞の長男は宴意(改印信)と記されている。
  4. ^ 善鸞の母については異説があり、恵信尼は継母で、実母は「善鸞義絶状」に記されている「みぶの女房」とする説がある。詳細は「善鸞#恵信尼との関係」参照。

関連項目

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