寿子内親王

南北朝時代の皇族。花園天皇の第一皇女。光厳天皇の後宮・女院・妃。

寿子内親王(じゅしないしんのう)は、南北朝時代の皇族、光厳天皇の後宮、女院花園天皇の皇女で母は正親町実子(宣光門院)。女院号は徽安門院

寿子内親王
続柄 花園天皇皇女

全名 寿子(じゅし)
称号 徽安門院
身位 内親王准三宮
出生 文保2年(1318年
死去 延文3年4月2日(1358年5月10日)(享年41)
配偶者 光厳天皇
父親 花園天皇
母親 正親町実子
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生涯

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永陽門院に養育され、その没後に遺領を相続した。光厳天皇の後宮に入ったが子はなく、崇光天皇及び後光厳天皇の准母とされた。建武4年(1337年)2月3日、内親王宣下され女院となった。延文元年に出家した。延文3年(1358年)薨去、享年41。

後期京極派の歌人の一人であり、『風雅和歌集』にもその歌が多く収められている。

参考文献

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  • 芳賀登 他 監修 『女性人名辞典』 日本図書センター、1998年