寿光院
徳川綱吉の側室。
寿光院(じゅこういん、正字体:壽光院、? - 寛保元年10月10日(1741年11月17日))は、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の側室。通称は大典侍(おおすけ)。江戸城本丸大奥ではなく、北の丸に新御殿を建てて居住したことから北の丸殿とも呼ばれる。
生涯
編集大納言・清閑寺煕房の娘として京都で生まれた。母は高倉永敦の娘・貞了院[1]。京都にての詳しい経歴は不詳[2]。
この後江戸へ下向するが、その経緯については諸説ある。貞享元年(1689年)9月、綱吉の世継ぎを望む将軍生母・桂昌院の意向により、側室候補として難波宗量の娘と共に江戸へ下向。初めは「とめ」と名乗り、桂昌院付きの女中として仕えた[3]。または、大奥総取締・右衛門佐局の紹介で貞享年間(1684年 - 1688年)に江戸へ下向して大奥上臈になったと伝えられている。
やがて綱吉の寵を受け、その側室となった。この折に名を「大典侍」とする[4][5] 。しかし子宝に恵まれなかったことから、 兄・清閑寺煕定の娘・竹姫を自分の養女として、北の丸御殿で育てた。
宝永6年(1709年)、綱吉の死後は落飾して「寿光院」を名乗り、馬場先御用屋敷、次いで浜御殿へと移った。
墓所は寛永寺大慈院にある。
関連作品
編集- 漫画;
- 大奥(白泉社、よしながふみ)※男女逆転設定
- 映画
- 大奥〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇](2012年・松竹、演:桐山漣)※男女逆転設定
- テレビドラマ