対馬市立東小学校
長崎県対馬市にある小学校
対馬市立東小学校(つしましりつ ひがししょうがっこう, Tsushima City Higashi Elementary School)は長崎県対馬市峰町[1]佐賀(さか)にある公立小学校。
対馬市立東小学校 | |
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北緯34度27分30秒 東経129度22分37秒 / 北緯34.458417度 東経129.377度座標: 北緯34度27分30秒 東経129度22分37秒 / 北緯34.458417度 東経129.377度 | |
過去の名称 |
仁田学区公立中等仁田小学校下等佐賀分校 三根学区簡易佐賀小学校 三根学区尋常佐賀小学校 佐賀尋常小学校 佐賀尋常高等小学校 佐賀国民学校 峰村立佐賀小学校 峰町立佐賀小学校 峰町立東小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 対馬市 |
併合学校 |
峰町立櫛小学校 峰町立志多賀小学校 対馬市立南陽小学校 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002623 |
所在地 | 〒817-1412 |
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概要
編集歴史
編集校区
編集沿革
編集- 創立年月日 - 不明
- 1885年(明治18年)- 「仁田学区公立中等仁田小学校下等佐賀分校」となる。
- 1886年(明治19年)- 小学校令により、簡易科を設置し「三根学区簡易佐賀小学校」と改称。
- 1891年(明治24年)- 尋常科を設置し「三根学区尋常佐賀小学校」となる。
- 1893年(明治26年)- 「佐賀尋常小学校」に改称。
- 1906年(明治39年)- 新校地に校舎を建設し移転。
- 1908年(明治41年)- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。
- 1916年(大正5年)- 高等科を併置し、「佐賀尋常高等小学校」と改称。
- 1919年(大正8年)- 教室を増築。
- 実施年月日不明 - 佐賀農業補習学校を併置。
- 1935年(昭和10年)4月1日 - 青年学校令により、併置の佐賀農業補習学校を佐賀青年学校に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「佐賀国民学校」と改称。尋常科を初等科に改称。初等科6年・高等科2年
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 1959年(昭和34年)4月 - へき地集会所(講堂)が完成。
- 1971年(昭和46年)4月 - 校舎を改築。
- 1972年(昭和47年)- 体育館が完成。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 峰町の発足により、「峰町立佐賀小学校」と改称。
- 1992年(平成2年)4月1日 - 峰町立櫛小学校(くし)を統合。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 峰町立志多賀小学校(したか)を統合し、「峰町立東小学校」と改称。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の発足により、「対馬市立東小学校」(現校名)に改称。
- 2014年(平成26年)4月1日 - 対馬市立南陽小学校を統合。
- 旧・櫛小学校
- 最終所在地 - 峰町櫛218番地 (佐賀地区より南側にある、北緯34度26分7.4秒 東経129度21分52.7秒)
- 1885年(明治18年)- 「仁田学区公立中等仁田小学校下等櫛分校」に改称。
- 1886年(明治19年)- 小学校令により、簡易科を設置し「簡易櫛小学校」となる。
- 1891年(明治24年)- 尋常科を設置し「尋常櫛小学校」となる。
- 1893年(明治26年)- 「櫛尋常小学校」に改称。
- 1882年(明治28年)- 校舎が完成。
- 1908年(明治41年)- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。
- 1915年(大正4年)- 新校地に校舎を建設し移転。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「櫛国民学校」と改称。尋常科を初等科に改称。児童増により校舎を増築。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、旧・櫛国民学校を改組し、「峰村立櫛小学校」とする。
- 1956年(昭和31年)1月 - 最終校地に校舎・集会場が完成し移転。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 峰町の発足により、「峰町立櫛小学校」(最終名)と改称。
- 1994年(平成4年)3月31日 - 廃止。
- 旧・志多賀小学校
- 最終所在地 - 峰町志多賀213番地 (佐賀地区より北側にある、北緯34度28分59.974秒 東経129度23分46.709秒)
- 1875年(明治8年)3月 - 「第五大学区第四中学区[4]志多賀村二十番小学志多賀学校」が開校[5]。廃寺・東月寺を仮校舎として使用。
- 1882年(明治15年)- 校舎が完成。
- 1885年(明治18年)- 「仁田学区公立中等仁田小学校下等志多賀分校」に改称。
- 1886年(明治19年)- 小学校令により、尋常科を設置し「尋常志多賀小学校」となる。
- 1893年(明治26年)- 「志多賀尋常小学校」に改称。
- 1903年(明治36年)- 字・江尻に校舎を新築。
- 1908年(明治41年)- 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。
- 1922年(大正11年)- 児童数増加のため、仮教室を拡張。
- 1927年(昭和2年)- 字・権現平に校地を移転。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「志多賀国民学校」と改称。尋常科を初等科に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、旧・志多賀国民学校を改組し、「峰村立志多賀小学校」とする。
- 峰村立東部中学校志多賀分校が併設される。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 志多賀分校が峰村立東部中学校より分離し、峰村立志多賀中学校として独立。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 峰町の発足により、「峰町立志多賀小学校・中学校」(最終名)と改称。
- 1980年(昭和55年)- 校舎を改築。
- 1983年(昭和58年)- 体育館が完成。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 志多賀中学校が峰町立東部中学校への統合により閉校。これにより小学校単独となる。
- 2003年(平成15年)3月31日 - 廃止。
アクセス
編集- 最寄りのバス停
- 最寄りの県道
周辺
編集- 対馬市立東部中学校
- 対馬市消防本部峰出張所
脚注
編集- ^ a b 対馬市発足の前は「みねちょう」と読んでいたが、対馬市発足後は「みねまち」と読むようになった。
- ^ これは峰町東部地区の小学校が1校のみになったため。この時、峰町西部にはすでに峰町立西小学校があったが、これは1983年(昭和58年)に峰町立三根小学校が木坂小学校を吸収し改称したものである。
- ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト
- ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二中学区、旧島原藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区、旧福江藩が第五中学区。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ 長崎縣教育史【上巻】(1942年(昭和17年)12月発行, 長崎縣教育會)によると、1974年(明治7年)6月1日と記されている。
参考文献
編集- 「峰町誌」(1993年(平成5年)6月30日発行 峰町)p.1274~
関連項目
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