寺部城

愛知県豊田市寺部町にあった城

寺部城(てらべじょう)は、愛知県豊田市寺部町にあった日本の城平城)。2008年(平成20年)6月2日付けで豊田市指定史跡[1]

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寺部城
愛知県
寺部城址(2011年4月)
寺部城址(2011年4月)
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 鈴木重時
築城年 文明年間
主な城主 鈴木重教鈴木重政など寺部鈴木氏
本多氏田中吉政渡辺氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、堀、碑、移築城門
指定文化財 市指定史跡[1]
位置 北緯35度05分45秒 東経137度10分16秒 / 北緯35.09583度 東経137.17111度 / 35.09583; 137.17111
地図
寺部城の位置(愛知県内)
寺部城
寺部城
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歴史

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寺部城址の石碑

寺部城は、文明年間(1469-1487年)に鈴木重時(下野守)によって築かれた。寺部鈴木氏は、寺部城を本拠に高橋荘東部を支配して、同地域に勢力を拡大しようとする松平氏と対立した。

天文2年(1533年)には岩津城愛知県岡崎市岩津町)外で、鈴木重教松平清康と戦うなどしていたが、三河に進出した今川義元に服属。しかし織田信長が台頭すると織田氏側に付いて離反したため、今川勢に攻められ、永禄元年(1558年)には鈴木重辰松平重吉元信と戦うなど、松平氏との攻防を繰り返した(寺部城の戦い[注釈 1]。重教の子重政は、今川氏に服属するが、桶狭間の戦い以後の今川氏の退潮に伴って没落。

城は、永禄9年(1566年)、織田氏の重臣佐久間信盛によって攻められ落城した。寺部鈴木氏は松平氏の臣下となった。

その後、慶長15年(1618年)に尾張徳川家家老渡辺守綱が寺部に入封し、1万4千石を領した。守綱は、寺部城址に寺部陣屋を構えて、以後渡辺氏が代々相続して明治時代まで至った。和泉国伯太藩の大名渡辺家は分家にあたる。

現在

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現在の城址は、寺部城址の森公園となっている。陣屋門が移築現存している。また、書院・又日亭は、豊田市内の七州城(挙母城)敷地内に移設復元されている。

脚注

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注釈

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  1. ^ この戦いが徳川家康の初陣である。また、今川氏が初めて鉄砲を使用した記録が残る戦いでもある[2]

出典

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  1. ^ a b 生涯活躍部文化財課 (2022年9月2日). “豊田市の文化財(指定・登録・選定)”. 豊田市公式HP. 2022年11月18日閲覧。
  2. ^ 大石泰史「今川氏親の生涯」『シリーズ・中世関東武士の研究 第二七巻 今川義元』(戎光祥出版、2019年6月) ISBN 978-4-86403-325-1 P29.

関連項目

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