富田 昭平(とみた しょうへい、1922年 - )は日本の実業家日本ケンタッキー・フライド・チキン設立の日本側責任者を務め、同社社長・会長、ジェフグルメカード初代社長、日本フードサービス協会会長等を歴任した。

人物

編集

1943年9月旧制東京商科大学付属商学専門部(のちの一橋大学)を繰り上げ卒業。1944年旧日本軍に入隊し、中国で従軍。

1946年5月に復員するも、職がなく、1946年9月に、父の友人であった神田啓三郎が主宰する大成水産に入社。その後事業が失敗。神田社長の世話で三陸油脂入社。専務を務めていた二村謙三(のちに三菱商事副社長)との知遇を得て、油脂の仕事の指導を受ける[1]

明光商事不二商事三菱商事を経て、日本ケンタッキー・フライド・チキン設立の三菱商事側の責任者を務め、1970年の会社設立時に常務取締役に就任。1973社長。1984年会長[2] [3]

1983年に札幌市白石区に400号店を開設。ケンタッキーチェーンで、400店に達したのは、北米地域以外では日本が初めてとなり、札幌市内のホテルで記念パーティーが開かれた[4]。同年ハワイ州での店舗展開を開始。また大韓民国漢陽食品ソウル市に第一号店を出店するのに際し、日本の店舗での店長候補者の教育、店舗設計や開店当初の店舗運営等の協力をした[5]

1985年日本フードサービス協会会長[6]

1992年に設立された株式会社ジェフグルメカードの初代社長に就任。商品券ジェフグルメカード」を当初の予測を大幅に上回る量を発行[7]。1994年にはユーシーカードと提携し、「UCジェフグルメカード」の販売を開始[8]

趣味はパソコンクラシック音楽歌舞伎宝塚など。

脚注

編集
  1. ^ 1983/11/18, 日本経済新聞
  2. ^ 日本ケンタッキー・フライド・チキンの成長と三菱商事独協経済 = Dokkyo University studies of economics (97), 65-77, 2015-12
  3. ^ 1984/01/24, 日経産業新聞
  4. ^ 1983/09/01, 日本経済新聞 
  5. ^ 1983/08/11, 日本経済新聞
  6. ^ 1985/05/09, 日本経済新聞
  7. ^ 1994/02/01, 日経流通新聞,
  8. ^ 1994/10/12, 日経産業新聞

外部リンク

編集
先代
中村基孝
日本ケンタッキーフライドチキン社長
第2代︰1973年 - 1984年
次代
大河原毅