富山県立大沢野工業高等学校
富山県富山市にあった高等学校
富山県立大沢野工業高等学校(とやまけんりつ おおさわのこうぎょうこうとうがっこう、英: Toyama Prefectural Osawano Technical High School)は、かつて富山県富山市坂本にあった公立の工業高等学校。富山県立富山工業高等学校との統合により、2012年(平成24年)3月末に閉校した。
富山県立大沢野工業高等学校 | |
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北緯36度35分12秒 東経137度12分51秒 / 北緯36.586778度 東経137.214167度座標: 北緯36度35分12秒 東経137度12分51秒 / 北緯36.586778度 東経137.214167度 | |
過去の名称 | 富山県立富山工業高等学校大沢野分校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 富山県 |
校訓 | 創造・至誠・進取 |
設立年月日 | 1961年 |
閉校年月日 | 2012年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
(閉校時の学科) 機械科 電子機械科 電気情報科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 16119F |
所在地 | 〒939-2206 |
富山県富山市坂本2600 | |
外部リンク | 公式サイト(ウェイバックマシン・2016年3月4日アーカイブ分) |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
設置学科
編集校歌
編集作詞:大島文雄、作曲:團伊玖磨
部活動
編集運動部では、ボート部が全国大会で優勝するなどの実績がある。
委員会
編集沿革
編集- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)1月29日 - 校舎第1期工事完成[3]。
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)9月20日 - 増築起工式[6]。
- 1964年(昭和39年)
- 1967年(昭和42年)11月1日 - 全工事完了(設計は飯森建築事務所、施工は真柄組の請負)[9]。
- 2006年(平成18年)- この年度から機械科40名、電子機械科40名、電気情報科40名の3学科3学級編成(1学年120名)となる。
- 2009年(平成20年)
- - 富山工業高等学校との統合に伴い、2010年(平成21年)度以降の全学科募集を停止。
- - この年、最後となる旭が丘展(文化祭)が開催された。
- 2012年(平成24年)
- 3月3日 - 最後の学年(2009年度入学生)対象の卒業証書授与式と閉校式を挙行。
- 3月31日 - 閉校。
その他
編集- 閉校後の跡地は2013年(平成25年)4月に富山県立富山高等支援学校が開校した。
アクセス
編集主な出身者
編集脚注
編集- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)94頁。
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)102頁。
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)109頁。
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)143頁。
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)156頁。
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)172頁。
- ^ 『大沢野町史 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年2月20日、大沢野町編集・発行)210頁。
- ^ 『大沢野町史 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年2月20日、大沢野町編集・発行)226頁。
- ^ 『大沢野町誌 現代(昭和三十年~昭和五十年)』(1986年12月20日、大沢野町編集・発行)283 - 284頁。
関連項目
編集外部リンク
編集- 富山県立大沢野工業高等学校 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)