富山市郷土博物館
富山市郷土博物館(とやましきょうどはくぶつかん、TOYAMA MUNICIPAL FOLK MUSEUM)は、富山県富山市本丸の富山城址公園内に位置する公立博物館である。また同じ城址公園内に近接する「佐藤記念美術館」の運営も一体で行なっている。日本博物館協会、全国歴史民俗系博物館協議会、富山県博物館協会会員。
富山市郷土博物館 TOYAMA MUNICIPAL FOLK MUSEUM | |
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施設情報 | |
愛称 | 富山城 |
前身 | 富山市街復興事業完了記念建築物 |
専門分野 | 富山城・周辺の歴史 |
事業主体 | 富山市 |
管理運営 | 富山市 |
開館 | 1954年(昭和29年)11月17日 |
所在地 |
〒930-0081 富山県富山市本丸1-62 |
位置 | 北緯36度41分34秒 東経137度12分41秒 / 北緯36.69278度 東経137.21139度座標: 北緯36度41分34秒 東経137度12分41秒 / 北緯36.69278度 東経137.21139度 |
外部リンク | 富山市郷土博物館 |
プロジェクト:GLAM |
外観から、通称「富山城」と呼ばれる。
概略
編集富山市のランドマークの一つで富山産業大博覧会で使われた展示会場を、博覧会終了後に富山市郷土博物館[1]として開館した、富山市で最初の博物館である。常設展示では、戦国時代から現在に至るまでの富山城と富山周辺の歴史について知ることができる。他に企画展が開催されている。
沿革
編集- 1953年(昭和28年)7月5日 富山産業大博覧会記念建築物として、富山城本丸址東南隅にて建設着工(設計は東京都信建築事務所および山本勝巳、大林組が施工、総工費3,600万円)[2]。
- 1954年(昭和29年)
- 1984年(昭和59年) 富山市科学文化センター(現 富山市科学博物館)開館に伴い、科学・自然部門を閉鎖、売薬部門を富山市民俗民芸村内の売薬資料館へ移した。
- 1989年(平成元年) 「富山市民プラザ」開館に合わせて美術部門を移し、現在は歴史博物館として運営されている。
- 2003年(平成15年)6月 震耐改修工事に着手。
- 2004年(平成16年) 国の登録有形文化財(建造物)に登録。
- 2005年(平成17年) 11月3日 震耐改修工事が完了。展示内容も見直しリニューアルオープン。
富山産業大博覧会と天守閣建設
編集アメリカ軍の爆撃(富山大空襲)により、富山市は灰燼に帰し約十万人が被災した。そして戦後、復興のために人々の努力が続いていた。
復興事業がほぼ完了し記念に行われたのが1954年(昭和29年)4月11日 - 6月4日、富山城址で開催された富山産業大博覧会であった。ポスターによれば、富山県と富山市の主催、魚津市参加、国鉄後援であった。通称、富山博といわれ、会場は富山市城址公園附近一帯と魚津会場を設けて、観覧時間は午前8時30分から午後5時30分までであった。47万人が入場した[4]。4億円の予算で、電気・薬を展示の売り物とし、自治体館(後の市庁舎を展示施設としていた)として東京館、北海道館が設定された。
建物の外観は彦根城や犬山城など、全国の現存天守を参考にデザインされた慶長様式で、会期中は「美の殿堂」として美術展などが開かれていた。構造は複合連結式望楼型3重4階(天守)2重2階(小天守)で RC造(延床面積927m2)である[2]。当時は天守展望台から、富山市街はもとより北アルプスや富山湾まで見渡すことができた。模擬天守はその時に復興のシンボルとして作られた記念建造物であるため、その後、多くの人が親しみを込めて富山城と呼んだ。
施設
編集館内
編集- 1階 受付、情報コーナー
- 2階 常設・企画展示コーナー、販売品コーナー
- 3階 事務室(関係者のみ)
- 4階 天守展望台
施設情報
編集- 開館時間
- 9時 - 17時 入館は16時30分まで
- 休館日
- 年末年始(その他臨時休館あり)
アクセス
編集- 国際会議場前停留場下車 徒歩約2分
富山地方鉄道バス
市内周遊ぐるっとBUS南回りルート(毎日6便) 城址公園バス亭下車 徒歩約3分
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 富山市郷土博物館・富山市佐藤記念美術館 公式ホームページ
- 富山市
- 富山市郷土博物館(富山城) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 日本博物館協会
- 富山県博物館協会
- 富山市郷土博物館 - artscape
- 富山市郷土博物館 - インターネットミュージアム