富小路禎子
日本の歌人
富小路 禎子(とみのこうじ よしこ、1926年8月1日 - 2002年1月2日)は、昭和・平成期の歌人。敗戦で没落した旧華族に生きる青春の歌などで知られる[1]。
とみのこうじ よしこ 富小路 禎子 | |
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生誕 |
富小路 禎子 (とみのこうじ よしこ) 1926年8月1日 日本 |
死没 | 2002年1月2日(75歳没) |
住居 |
日本・東京府東京市淀橋区上落合 (現・東京都新宿区) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 女子学習院高等科 |
職業 | 旅館の女中など → 日東化学工業(現・三菱レイヨン) |
活動期間 | 1946年 - 2002年 |
活動拠点 | 日本・京都府を中心。 |
配偶者 | なし |
親 | 父:富小路隆直、母:鳥羽ふさよ |
受賞 |
第28回短歌研究賞(1992年「泥眼」) 第31回迢空賞(1997年「不穏の華」) |
公式サイト | なし |
補足 | |
生涯
編集東京府東京市淀橋区(現・東京都新宿区)上落合出身。女子学習院高等科卒。生まれた富小路家は歌道の家の流れを汲む子爵家で、父富小路隆直(1885年生[2])は元貴族院議員。しかし太平洋戦争中に母のふさよ(1890年生[3])を病気で亡くし、終戦後は父の失職などにより没落し、旅館の女中などを経て日東化学工業(現・三菱レイヨン)に勤務、定年まで勤めた。植松寿樹に師事し、1946年歌誌『沃野』創刊に参加、のち編集委員、発行人となる。「女人短歌」にも参加した。
1992年「泥眼」で第28回短歌研究賞。1997年「不穏の華」で第31回迢空賞受賞。生涯独身であった。2002年に心室細動により死去[4]。
著書
編集- 未明のしらべ 歌集 短歌新聞社 1956 沃野叢書 のち文庫
- はくぎょう 新星書房 1970 沃野叢書
- 透明界 歌集 角川書店 1976 沃野叢書
- 柘榴の宿 歌集 短歌新聞社 1983.12 沃野叢書
- 花をうつ雷 富小路禎子歌集 短歌新聞社 1989.8 現代短歌全集
- 吹雪の舞 富小路禎子歌集 雁書館 1993.2 沃野叢書
- 不穏の華 富小路禎子歌集 砂子屋書房 1996.11 沃野叢書
- 芥子と孔雀 歌集 短歌研究社 2002.7
- 遠き茜 富小路禎子歌集 短歌新聞社 2002.8 現代女流短歌全集
- 富小路禎子全歌集 富小路禎子全歌集刊行委員会編 角川書店 2003.12 沃野叢書
脚注
編集出典
編集- ^ 富小路禎子 とみのこうじ よしこ日本人名大辞典
- ^ 富小路隆直『人事興信録. 4版』人事興信所、1915
- ^ 富小路隆直『人事興信録. 第13版(昭和16年) 下』pト46
- ^ 富小路禎子さん死去/歌人、歌誌「沃野」発行人四国新聞社、2002/01/04