小田急1900形電車 > 富士急行5200形電車

富士急行5200形電車(ふじきゅうこう5200がたでんしゃ)は、1977年(昭和52年)に登場した富士急行電車である[1][2]

富士急行5200形電車
富士急行5200形 1982年2月撮影
基本情報
運用者 富士急行[1][2]
種車 小田急1900形[1][2]
改造数 8両[1][2]
運用開始 1977年4月10日[1]
廃車 1984年10月10日[3]
投入先 富士急行線[1][2]
主要諸元
編成 2両(1M1T)[1][2]
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V架空電車線方式
車両定員 130名(座席50名)[4]
自重 40.0 t[4](モハ5230形)
32.7 t[4](クハ5260形)
最大寸法
(長・幅・高)
17,750 × 2,800 × 3,905 mm[4](モハ5230形)
17,750 × 2,800 × 3,885 mm[4](クハ5260形)
台車 FS-108[4]
主電動機 MB166[4]
主電動機出力 94 kW × 4[4]
駆動方式 吊り掛け駆動方式[4]
歯車比 66 : 19 = 3.47[1]
制御方式 抵抗制御
制御装置 ABF[4]
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概要

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小田急4000形電車主電動機を譲り渡した小田急1900形電車8両を1976年に譲受し、3600形の主電動機を流用した[1][2]。形式の5200は運用開始年の1977年が昭和52年であったことに由来し[1]、片運転台の制御電動車モハ5230形・制御車クハ5260形の2形式により構成される[4]。先にモハ5235・クハ5265から改造が始められ、同年4月10日より営業運転を開始した[1]

老朽化のため1983年に登場した5700形に置き換えられ[2]、翌1984年に全8両が廃車となった[3]

車両概説

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改造は自社工場にて行われた[2]。外観においては塗装の変更、前面貫通路両脇の手すり[1][2]と前面貫通路渡り板の撤去が行われた[2]。前面行先表示器は当初撤去されたが、方針の変更により再度設置され、運用されることとなった[1][注釈 1]

機器類は3600形の主電動機を流用、歯車比の変更[1][2]、放送配線の新製[1]空制ホースの位置変更が行われた[1][2]。この他保温回路の新設と変換器の設置が行われた[2]。また、勾配対策として手ブレーキを1両当たり2個設置した[1]

富士急行に譲渡された時点では小田急電鉄時代の廃車当時の塗装のままで、改造までの間は河口湖駅構内に留置されていた[1]車体の外観はほとんど原型を保っていたが、屋根上のランボードが撤去されている。また、晩年のクハ5265は寒冷対策により屋根上のベンチレーターが全て撤去されていた。[要出典]

車両一覧

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小田急時代同様末尾の番号が同じ車両同士の2両編成となった[2]。なお、末尾4は忌み番として欠番となっている[2]

富士急行での車両番号 小田急時代の車両番号 入線 廃車
モハ5231 クハ5261 デハ1911 クハ1961 1976年11月29日 1984年10月10日
5232 5262 1912 1962 1976年12月13日
5233 5263 1913 1963 1976年11月15日
5235 5265 1914 1964 1976年11月22日 1984年1月6日

表の出典

脚注

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注釈

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  1. ^ 富士吉田・河口湖・都留市・大月・回送・試運転の6コマが収録されていた[1]

出典

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参考文献

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  • 大澤茂「富士急行5200系デビュー」『鉄道ファン』第17巻第9号、交友社、1977年9月1日、102頁。 
  • 駒村雅裕「甲信越・東海地方の私鉄 現況6 富士急行」『鉄道ピクトリアル』第48巻第4号、電気車研究会 鉄道図書刊行会、1984年4月10日、119-124頁。 
  • 服部朗宏「その後の関東のローカル私鉄(Ⅱ)」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第33号、電気車研究会 鉄道図書刊行会、2016年3月10日、11頁。