宮辺英夫
日本の陸軍軍人、パイロット
宮辺 英夫(みやべ ひでお、1919年1月 - 1978年10月)は日本の陸軍軍人、パイロット。
最終階級は陸軍少佐。加藤隼戦闘隊の最後の戦隊長として知られる。
経歴
編集熊本県に生まれる。1936年(昭和11年)に旧制玉名中(熊本県立玉名高等学校・附属中学校)、1939年(昭和14年)に陸軍士官学校を52期で卒業。
陸軍士官学校卒業後、明野陸軍飛行学校へ進み、卒業後は飛行第5戦隊へ配属。その後、明野陸軍飛行学校教官となる。1943年(昭和18年)2月に飛行第六十四戦隊(いわゆる加藤隼戦闘隊)第2中隊長関二郎大尉が戦死したことに伴い、第2中隊長になる。
1945年(昭和20年)4月26日には飛行第六十四戦隊戦隊長となり、クラコール飛行場にて終戦を迎えた。撃墜数12機(それ以上とも)。
1946年(昭和21年)5月4日、大竹港に復員した。復員後は公職追放となり[1]、帰郷後、凸版玉名紙工株式会社に勤務。後に社長に就任している。
1978年逝去。
主な搭乗機体
編集著作
編集- 加藤隼戦闘隊の最後: 宮辺英夫遺稿 (1986年、光人社、ISBN 4769803222 )
- 加藤隼戦闘隊の最後: 若き撃墜王たちの墓碑銘(1998年、光人社、光人社NF文庫、ISBN 4769822065 )
- 加藤隼戦闘隊の最後: 若き撃墜王たちの墓碑銘(2015年、潮書房光人社、光人社NF文庫、ISBN 9784769828792 )