宮本ともみ
宮本 ともみ(みやもと ともみ、1978年12月31日 - )は、神奈川県相模原市出身の元女子サッカー選手、現サッカー指導者、解説者。元サッカー日本女子代表(代表通算77試合13得点)。現役時代のポジションはミッドフィールダー。神奈川県立相模大野高等学校卒業。旧姓は「三井」。
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名前 | ||||||
愛称 | みっち | |||||
カタカナ | ミヤモト トモミ | |||||
ラテン文字 | MIYAMOTO Tomomi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1978年12月31日(45歳) | |||||
出身地 | 神奈川県相模原市 | |||||
身長 | 168cm | |||||
体重 | 59kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-1999 | プリマハムFCくノ一 | 47 | (5) | |||
2000-2008 | 伊賀フットボールクラブくノ一 | 109 | (7) | |||
2009-2010 | TEPCOマリーゼ | 38 | (7) | |||
2011-2012 | 伊賀フットボールクラブくノ一 | 34 | (3) | |||
通算 | 228 | (22) | ||||
代表歴2 | ||||||
1997-2007 | 日本 | 77 | (13) | |||
監督歴 | ||||||
2015- | 高田短期大学 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2012年11月11日現在。 2. 2011年7月23日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集選手時代
編集小学1年生の時、兄の影響でサッカーを始めた[1]。新磯サッカースポーツ少年団、相模原SCを経て、1997年(当時18歳)でプリマハムFCくノ一(現伊賀FCくノ一)へ入団[2]。同年日本代表に初選出された[2]。
1999年、第3回FIFA女子世界選手権アメリカ大会(現ワールドカップ)に出場[2]。
2002年、23歳のときに結婚。周囲からは「引退するのか」と聞かれることもあったが、「『なんで結婚するからやめるんだ』という感じでした」[3]、「『(夫からは)結婚したんだからサッカーやめろ』ということは言われなかった」[4] と語っている。
2003年、第4回FIFA女子ワールドカップアメリカ大会では3試合すべてでフル出場した[5]。
2004年、アテネオリンピックの代表メンバーに選出された。当時の代表監督だった上田栄治は宮本を「澤穂希よりも重要な選手」と評価していた[6]。宮本はチームで唯一の既婚者であり、またチーム最長身であった。宮本は第1戦のスウェーデン戦をフルで戦った後、第2戦目のナイジェリア戦にもスタメン出場。しかし前半15分過ぎ、相手選手と交錯した際、そのスパイクが右大腿部を直撃し、8針縫う裂傷を負った[7]。倒れこんだ宮本は、立ち上がれないまま担架でピッチ外へ運ばれ、結局そのまま交代。この後チームは攻守のバランスを崩し、後半にはナイジェリアに決勝点を奪われることとなる。当時日本サッカー協会会長だった川淵三郎は「残念だね。宮本が欠場したのが痛かった。彼女がいないと攻守とも痛い」と述べた[8]。 決勝トーナメント準々決勝アメリカ戦では怪我を押して強行先発したが、1-2で敗れ、チームは敗退した[9]。
2005年5月、26歳のとき長男を出産。産休・育休のため戦列を離れ、2005年シーズンは選手登録されなかったが、2006年シーズンに再び選手登録され現役復帰。
2006年10月に日本女子代表にも再び招集され、初の子持ち代表となった。このとき日本サッカー協会は民間のベビーシッターを雇い、宮本が1歳(当時)の長男を伴って代表活動ができるようにサポートした[10]。
2007年、第5回FIFA女子ワールドカップ中国大会のメンバーに選出され、自身3度目のワールドカップメンバーとなった[11]。
2008年、伊賀FCくノ一がなでしこリーグ2部へ降格、このときのことについて宮本は「サッカー人生で一番悔しい出来事で、なかなか受けとめることが出来なかった」「『神様がやめろって言っているのかな』と引退も考えました」と語っている[3]。
2009年、東京電力女子サッカー部マリーゼ(TEPCOマリーゼ)へ移籍。移籍の理由について「年齢的にも選手生命が残り少なくなってきた中で、サッカーが集中できる環境にいたかったし、自分の経験を少しでも後進に伝えたかった」と語っている[12]。
2011年、伊賀FCくノ一へ復帰[13]。同年4月29日に行われたリーグ開幕戦福岡J・アンクラス戦では2ゴールを挙げ、チームを2-0の勝利に導いた[14]。
同年7月24日、なでしこリーグの岡山湯郷Belle戦で、リーグ200試合出場を達成した[15]。
同年8月19日、国立競技場で行われた「東日本大震災復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!なでしこジャパンvsなでしこリーグ選抜」のなでしこリーグ選抜チームのメンバーに選出された[16][17]。試合は2-3で敗れたが、選抜チームの監督を務めた星川敬は宮本について「宮本選手の経験は内容を見ても、結果からもまだまだやれると感じました」と高く評価した[18][19]。
2012年12月5日、現役を退くことを表明した[20]。同年12月22日の第34回皇后杯全日本女子サッカー選手権大会準決勝のジェフユナイテッド市原・千葉レディース戦に出場、試合はペナルティーキック戦の末に敗れたが、宮本は後半24分に1-1の同点となるゴールを挙げ、これが現役最後の得点となった[21]。
2013年3月3日、伊勢フットボールヴィレッジにて引退記念試合とセレモニーが行われた[22][23]。
指導者時代
編集2015年4月、高田短期大学女子サッカー部監督に就任した[24]。
2016年4月、日本サッカー協会により、女子代表の強化や女子サッカー育成普及を担う女子委員会が新たに承認され、委員の1人に選ばれた[25][26][27]。同年12月、 U-16/17日本女子代表のコーチに選任された[28]。
2019年にU-19日本女子代表コーチに就任。
2021年からなでしこジャパン(日本女子代表)コーチを務めている[29]。
個人成績
編集クラブ
編集この節の加筆が望まれています。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | プリマハムFCくノ一 | 4 | L・リーグ | 15 | 1 | ||||||
1998 | 14 | 18 | 1 | ||||||||
1999 | 14 | 3 | |||||||||
2000 | 伊賀FCくノ一 | 10 | 12 | 1 | - | ||||||
2001 | 14 | 0 | - | ||||||||
2002 | 4 | 0 | - | ||||||||
2003 | 20 | 1 | - | 3 | 1 | 23 | 2 | ||||
2004 | L・リーグ1部 (L1) | 7 | 1 | - | |||||||
2006 | なでしこ Div.1 | 14 | 0 | - | 2 | 0 | 16 | 0 | |||
2007 | 21 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 22 | 1 | |||
2008 | 17 | 3 | - | 2 | 0 | 19 | 3 | ||||
2009 | TEPCOマリーゼ | 6 | 21 | 2 | - | 3 | 0 | 24 | 2 | ||
2010 | なでしこ | 17 | 5 | 5 | 1 | 2 | 1 | 24 | 7 | ||
2011 | 伊賀FCくノ一 | 32 | 16 | 3 | - | 0 | 0 | 16 | 3 | ||
2012 | 5 | 18 | 0 | 5 | 0 | 3 | 1 | 26 | 1 | ||
通算 | 日本 | 1部 | 228 | 22 | |||||||
総通算 | 228 | 22 |
※2005年度は産休・育休により登録されず
代表
編集選出歴等
編集- 1998年 第13回アジア競技大会(タイ)出場
- 1999年 第3回FIFA女子世界選手権出場
- 2003年 第4回FIFA女子ワールドカップ出場
- 2004年 アテネオリンピック出場
- 2007年 第5回FIFA女子ワールドカップ出場
試合数
編集
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1997 | 6 | 2 |
1998 | 10 | 1 |
1999 | 14 | 2 |
2002 | 7 | 1 |
2003 | 14 | 3 |
2004 | 9 | 2 |
2006 | 1 | 0 |
2007 | 16 | 2 |
通算 | 77 | 13 |
出場
編集# | 開催日 | 開催地 | 会場 | 相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1997年06月08日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 中国 | ○1-0 | 宮内聡 | キリンカップ |
2 | 1997年06月15日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | 中国 | △0-0 | キリンカップ | |
3 | 1997年12月07日 | 番禺 | インド | ○1-0 | アジア選手権 | ||
4 | 1997年12月09日 | 番禺 | 香港 | ○9-0 | アジア選手権 | ||
5 | 1997年12月12日 | 広州 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ●0-1 | アジア選手権 | ||
6 | 1997年12月14日 | 広州 | チャイニーズタイペイ | ○2-0 | アジア選手権 | ||
7 | 1998年05月17日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | アメリカ合衆国 | ●1-2 | キリンカップ | |
8 | 1998年05月21日 | 兵庫県 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | アメリカ合衆国 | ●0-2 | キリンカップ | |
9 | 1998年05月24日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | アメリカ合衆国 | ●0-3 | キリンカップ | |
10 | 1998年10月24日 | ソウル | 韓国 | △1-1 | 国際親善試合 | ||
11 | 1998年10月26日 | ソウル | 韓国 | △1-1 | 国際親善試合 | ||
12 | 1998年12月08日 | バンコク | タイ | ○6-0 | アジア大会 | ||
13 | 1998年12月10日 | バンコク | 朝鮮民主主義人民共和国 | ●2-3 | アジア大会 | ||
14 | 1998年12月12日 | バンコク | ベトナム | ○8-0 | アジア大会 | ||
15 | 1998年12月15日 | バンコク | 中国 | ●0-3 | アジア大会 | ||
16 | 1998年12月17日 | バンコク | チャイニーズタイペイ | ○2-1 | アジア大会 | ||
17 | 1999年03月24日 | サンカンタン | フランス | ○1-0 | 国際親善試合 | ||
18 | 1999年04月29日 | シャーロット | アメリカ合衆国 | ●0-9 | 国際親善試合 | ||
19 | 1999年05月02日 | カールストン | アメリカ合衆国 | ●0-7 | 国際親善試合 | ||
20 | 1999年05月30日 | 京都府 | 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 | 韓国 | △1-1 | キリンカップ | |
21 | 1999年06月03日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ○3-2 | キリンカップ | |
22 | 1999年06月19日 | サンノゼ | カナダ | △1-1 | 世界選手権 | ||
23 | 1999年06月23日 | ポートランド | ロシア | ●0-5 | 世界選手権 | ||
24 | 1999年06月26日 | シカゴ | ノルウェー | ●0-4 | 世界選手権 | ||
25 | 1999年11月08日 | イロイロ | タイ | ○9-0 | 鈴木保 | アジア選手権 | |
26 | 1999年11月10日 | イロイロ | ウズベキスタン | ○5-1 | アジア選手権 | ||
27 | 1999年11月12日 | バロタク | ネパール | ○14-0 | アジア選手権 | ||
28 | 1999年11月14日 | イロイロ | フィリピン | ○6-0 | アジア選手権 | ||
29 | 1999年11月19日 | バコロド | チャイニーズタイペイ | ●0-2 | アジア選手権 | ||
30 | 1999年11月21日 | バコロド | 朝鮮民主主義人民共和国 | ●2-3 | アジア選手権 | ||
31 | 2002年08月27日 | 武漢 | 中国 | ●0-4 | 上田栄治 | 極東4ヶ国対抗戦 | |
32 | 2002年08月29日 | 漢口 | ロシア | ●0-1 | 極東4ヶ国対抗戦 | ||
33 | 2002年08月31日 | 漢口 | 韓国 | △0-0 | 極東4ヶ国対抗戦 | ||
34 | 2002年10月02日 | 釜山 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ●0-1 | アジア大会 | ||
35 | 2002年10月04日 | 昌原 | ベトナム | ○3-0 | アジア大会 | ||
36 | 2002年10月07日 | 馬山 | 韓国 | ○1-0 | アジア大会 | ||
37 | 2002年10月09日 | 昌原 | 中国 | △2-2 | アジア大会 | ||
38 | 2003年03月19日 | バンコク | タイ | ○9-0 | 国際親善試合 | ||
39 | 2003年06月09日 | バンコク | フィリピン | ○15-0 | アジア選手権 | ||
40 | 2003年06月11日 | バンコク | グアム | ○7-0 | アジア選手権 | ||
41 | 2003年06月13日 | バンコク | ミャンマー | ○7-0 | アジア選手権 | ||
42 | 2003年06月15日 | バンコク | チャイニーズタイペイ | ○5-0 | アジア選手権 | ||
43 | 2003年06月19日 | バンコク | 朝鮮民主主義人民共和国 | ●0-3 | アジア選手権 | ||
44 | 2003年06月21日 | バンコク | 韓国 | ●0-1 | アジア選手権 | ||
45 | 2003年07月05日 | メキシコシティー | メキシコ | △2-2 | ワールドカップ予選 | ||
46 | 2003年07月12日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | メキシコ | ○2-0 | ワールドカップ予選 | |
47 | 2003年07月22日 | 宮城県 | 仙台スタジアム | 韓国 | ○5-0 | 日韓豪3ヶ国対抗国際大会 | |
48 | 2003年07月27日 | 宮城県 | 仙台スタジアム | オーストラリア | △0-0 | 日韓豪3ヶ国対抗国際大会 | |
49 | 2003年09月21日 | コロンバス | アルゼンチン | ○6-0 | ワールドカップ | ||
50 | 2003年09月25日 | コロンバス | ドイツ | ●0-3 | ワールドカップ | ||
51 | 2003年09月27日 | フォックスボロ | カナダ | ●1-3 | ワールドカップ | ||
52 | 2004年04月18日 | 東京都 | 駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場 | ベトナム | ○7-0 | オリンピック予選 | |
53 | 2004年04月24日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ○3-0 | オリンピック予選 | |
54 | 2004年04月26日 | 広島県 | 広島広域公園陸上競技場 | 中国 | ●0-1 | オリンピック予選 | |
55 | 2004年06月06日 | ルイビル | アメリカ合衆国 | △1-1 | 国際親善試合 | ||
56 | 2004年07月30日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | カナダ | ○3-0 | 国際親善試合 | |
57 | 2004年08月06日 | ザイスト | オランダ | ○2-0 | 国際親善試合 | ||
58 | 2004年08月11日 | ボロス | スウェーデン | ○1-0 | オリンピック | ||
59 | 2004年08月14日 | アテネ | ナイジェリア | ●0-1 | オリンピック | ||
60 | 2004年08月20日 | テッサロニキ | アメリカ合衆国 | ●1-2 | オリンピック | ||
61 | 2006年11月19日 | 千葉県 | フクダ電子アリーナ | オーストラリア | ○1-0 | 大橋浩司 | 国際親善試合 |
62 | 2007年02月09日 | ニコシア | ノルウェー | ○1-0 | 国際親善試合 | ||
63 | 2007年02月12日 | ラルナカ | スウェーデン | △2-2 | 国際親善試合 | ||
64 | 2007年03月10日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | メキシコ | ○2-0 | ワールドカップ予選 | |
65 | 2007年03月17日 | トルーカ | メキシコ | ●1-2 | ワールドカップ予選 | ||
66 | 2007年04月07日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ベトナム | ○2-0 | オリンピック予選 | |
67 | 2007年04月15日 | バンコク | タイ | ○4-0 | オリンピック予選 | ||
68 | 2007年06月03日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ○6-1 | オリンピック予選 | |
69 | 2007年06月10日 | 富川 | 韓国 | △2-2 | オリンピック予選 | ||
70 | 2007年07月28日 | サンノゼ | アメリカ合衆国 | ●1-4 | 国際親善試合 | ||
71 | 2007年08月04日 | ハイフォン | ベトナム | ○8-0 | オリンピック予選 | ||
72 | 2007年08月12日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | タイ | ○5-0 | オリンピック予選 | |
73 | 2007年08月30日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | カナダ | △0-0 | 国際親善試合 | |
74 | 2007年09月02日 | 千葉県 | フクダ電子アリーナ | ブラジル | ○2-1 | 国際親善試合 | |
75 | 2007年09月11日 | 上海 | イングランド | △2-2 | ワールドカップ | ||
76 | 2007年09月14日 | 上海 | アルゼンチン | ○1-0 | ワールドカップ | ||
77 | 2007年09月17日 | 杭州 | ドイツ | ●0-2 | ワールドカップ |
ゴール
編集この節の加筆が望まれています。 |
# | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 監督 | 大会 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1997年6月8日 | 東京 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 中国 | ○ 1-0 | 宮内聡 | キリンカップ | |
2. | 1997年12月9日 | 番禺 | 香港 | ○ 9-0 | 1997 AFC女子選手権 | |||
3. | 1998年12月8日 | バンコク | トゥパテミ・スタジアム | タイ | ○ 6-0 | 第13回アジア競技大会 | ||
4. | 1999年11月12日 | バロタク | ネパール | ○ 14-0 | 鈴木保 | 1999 AFC女子選手権 | ||
5. | ||||||||
6. | 2002年10月9日 | 昌原 | 昌原総合運動場 | 中国 | △ 2-2 | 上田栄治 | 第14回アジア競技大会 | |
7. | 2003年6月9日 | バンコク | ラジャマンガラ・スタジアム | フィリピン | ○ 15-0 | 2003 AFC女子選手権 | ||
8. | 2003年7月5日 | メキシコシティ | メキシコ | △ 2-2 | 2003 FIFA女子ワールドカップ予選プレーオフ | |||
9. | 2003年7月22日 | 仙台 | 仙台スタジアム | 韓国 | ○ 5-0 | 日・韓・豪3ヶ国対抗国際女子サッカー大会 | ||
10. | 2004年4月18日 | 東京 | 駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場 | ベトナム | ○ 7-0 | アテネオリンピックアジア最終予選 | ||
11. | ||||||||
12. | 2007年6月3日 | 東京 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ○ 6-1 | 北京オリンピックアジア最終予選 | [32] | |
13. | 2007年8月4日 | ハイフォン | ラックチャイ・スタジアム | ベトナム | ○ 8-0 | [33] |
タイトル
編集クラブ
編集- プリマハムFCくノ一
- 日本女子サッカーリーグ: 1回 (1999年)
- L・リーグカップ: 2回 (1997年、1998年)
- 全日本女子サッカー選手権大会: 1回 (1998年)
個人
編集- 日本女子サッカーリーグ ベストイレブン:2回 (1999年、2003年)
脚注
編集- ^ 「ボクのママはサッカー選手」東京電力女子サッカー部マリーゼ 宮本ともみ 百年旅行 Jリーグのある風景番組公式HP、2016年6月4日閲覧。
- ^ a b c 宮本 ともみ ジャパン・スポーツ・プロモーション公式HP、2016年6月4日閲覧。
- ^ a b とことんインタビュー 女子サッカー元日本代表 宮本ともみさん 朝日新聞デジタル(三重).2011.3.31、2016年6月4日閲覧。
- ^ 【ママさんなでしこ第1号・宮本ともみ(3)】「全然イケメンじゃない」夫は炎の消防士 「初対面で遅刻され…」恋の炎が 産経WEST.2013.10.13、2016年6月4日閲覧。
- ^ 【ママさんなでしこ第1号・宮本ともみ(4)】世界で魅せた“奥様ボランチ” 同居の義父母が「自慢の嫁…と思う…はず」 産経WEST.2013.10.13、2016年6月4日閲覧。
- ^ なでしこ支えた“人妻ボランチ”宮本 「沢より重要な選手」と評価 スポニチアネックス.2011.9.25、2016年6月4日閲覧。
- ^ 【ママさんなでしこ第1号・宮本ともみ(5)】「子連れ遠征」直訴の理由 アテネ五輪8針の大けが、愛息への思い 産経WEST.2013.10.14、2016年6月4日閲覧。
- ^ 【サッカー】宮本負傷で黒星、なでしこホロ苦「8強」 サンスポ.com、2016年6月4日閲覧。
- ^ なでしこテッサロニキに散る、米国に1-2惜敗 SANSPO.COM、2016年6月4日閲覧。
- ^ 総合 : なでしこ初 宮本選手が親子で代表合流 協会がベビーシッター雇いサポート 伊賀タウン情報YOU.2006.11.13、2016年6月4日閲覧。
- ^ 総合 : 【紙面から】3度目のW杯に挑むママ選手 なでしこジャパン 伊賀市丸柱 宮本ともみ選手 伊賀タウン情報YOU.2007.9.7、2016年6月4日閲覧。
- ^ 私を語るTOP vol.251 東京電力女子サッカー部マリーゼ 朝日SALLY WEB MAGAZINE、2016年6月4日閲覧。
- ^ 「一からのスタート」宮本ともみ選手がくノ一に入団 伊賀タウン情報YOU.2011.2.1、2016年6月4日閲覧。
- ^ 開幕戦くノ一快勝 復帰の宮本が「恩返し」の2ゴール なでしこリーグ・福岡AN戦 伊賀タウン情報YOU.2011.4.29、2016年6月4日閲覧。
- ^ 得点でチーム牽引 中心2選手 伊賀タウン情報 YOU.2011.8.12、2016年6月4日閲覧。
- ^ 東日本大震災復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!なでしこジャパン(日本女子代表)vsなでしこリーグ選抜 JFA公式サイト、2016年6月8日閲覧。
- ^ 星川監督「なでしこジャパンの弱点を突きたい」慈善試合 女子日本代表戦メンバー発表会見 スポーツナビ.2011.8.8、2016年6月8日閲覧。
- ^ 「これからは色々なプレッシャーを背負って勝たねば」佐々木監督 「後半はプラン通リ、なでしこの弱点をつけた」選抜・星川監督 試合後のコメント 澤、宮間、近賀、選抜宮本、木龍、小林 スポーツライター・増島みどりのザ・スタジアム.2011.8.20、2016年6月8日閲覧。
- ^ なでしこリーグ選抜の星川監督「相手のウィークポイントをつけた」 SOCCER KING.2011.8.19、2016年6月8日閲覧。
- ^ 宮本ともみ選手引退のお知らせ 伊賀フットボールクラブ公式サイト2012.12.5、2016年6月4日閲覧。
- ^ 伊賀宮本ラストピッチで惜別弾/皇后杯 ニッカンスポーツ.2012.12.23、2016年6月4日閲覧。
- ^ 「伊勢フットボールヴィレッジ」オープンイベントで宮本ともみの引退セレモニー実施 SOCCER KING.2013.3.3、2016年6月4日閲覧。
- ^ なでしこジャパン初のママさん選手、引退試合飾る スポニチアネックス.2013.3.4、2016年6月4日閲覧。
- ^ 「元なでしこJAPAN」 宮本ともみ氏が高田短期大学女子サッカー部監督に就任 高田短期大学公式HP.2015.4.3、2016年6月4日閲覧。
- ^ なでしこ新任委員に代表77戦、宮本ともみさん ニッカンスポーツ.2016.4.15、2016年6月4日閲覧。
- ^ 「なでしこ」再建目指し元代表・宮本ともみさんを委員に選出 SANSPO.COM.2016.4.15、2016年6月4日閲覧。
- ^ 女子委員会メンバー決定!元なでしこ宮本ともみ氏らが就任 スポニチアネックス.2016.4.15、2016年6月4日閲覧。
- ^ 2016年度JFA第12回理事会を開催 JFA公式サイト.2016.12.8、2016年12月8日閲覧。
- ^ “ナショナルコーチングスタッフ|日本代表”. www.jfa.jp. 日本サッカー協会. 2024年2月21日閲覧。
- ^ “なでしこジャパン(日本女子代表)試合別出場記録”. 日本サッカー協会 (2008年7月29日). 2021年6月12日閲覧。
- ^ “なでしこジャパン(日本女子代表)選手個人記録(出場試合数ランキング)”. 日本サッカー協会 (2008年7月29日). 2021年6月12日閲覧。
- ^ “試合情報”. www.jfa.or.jp. 日本サッカー協会. 2024年2月21日閲覧。
- ^ “試合情報”. www.jfa.or.jp. 日本サッカー協会. 2024年2月21日閲覧。
外部リンク
編集- 宮本 ともみ - JFA公式サイト
- 宮本ともみ - ジャパン・スポーツ・プロモーション
- 宮本ともみ プロフィール - 株式会社ソル・スポーツマネージメント
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