宮廻正明
日本画家
経歴
編集島根県松江市生まれ[1]。島根県立松江南高等学校を経て、1975年、東京芸術大学美術学部デザイン科入学。大藪雅孝に師事し、1979年に同大学を卒業[1]。1981年、同大学院修士課程修了、東京芸術大学大学院美術研究科保存修復技術研究室非常勤助手となり平山郁夫に師事[1]。1986年、同非常勤講師[1]。1995年、東京芸術大学大学院美術研究科文化財保存学日本画助教授[1]。2000年、同教授[1]。2009年、東京芸術大学学長特命社会連携センター長[1]。2018年、東京芸術大学を定年退職し、同名誉教授[1]。
1984年、日本美術院院友[1]。1995年、日本美術院同人[1]。2006年、日本美術院評議員[1]。
日本美術院同人・常務理事[1]。公益財団法人文化財保護・芸術研究助成財団理事長[1]。足立美術館評議委員長[1]。山種美術館理事[1]。
2020年7月17日から、そごう美術館(横浜市西区)で開催される、第75回春の院展に出品される作品「銀河鉄道」について、7月16日にSNS上でロックバンド『ソウル・フラワー・ユニオン』の、CDジャケット[2]に使われた写真に似ているとの指摘があった[3]。そのため日本美術院は作品を初日の17日に撤去した上、倫理委員会を設置し調査した。その結果、道義上の責任は看過できないとし、「公益財団法人日本美術院同人倫理規則」に抵触すると判断。7月18日に臨時理事会を開き、同日付で宮廻正明に対して役員の辞任勧告、及び今後1年以上の間、謹慎処分(出品及び同人としての審査資格の停止)を下した[4][5][6][7][8][9][10]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “宮廻正明 年譜”. 宮廻正明公式ウェブサイト. 2020年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月20日閲覧。
- ^ ソウル・フラワー・ユニオンCD『死ぬまで生きろ!』(2010年6月30日発売).2020年7月20日閲覧
- ^ 『ソウル・フラワー・ユニオン』公式アカウント(@soulflowerunion)2020年7月16日のツイート 「これ、どうなんよ。反転させてるけど、トリミングまでそっくり。ちなみにソウル・フラワー・ユニオン『死ぬまで生きろ』のジャケの際は、バングラデシュのカメラマンAftab Tuhinさんに使用料を払って使わせて貰った。」.2020年7月20日閲覧。
- ^ “本院役員の処分について”. 日本美術院. 2020年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月20日閲覧。
- ^ “第75回春の院展出品作品「銀河鉄道」制作経緯について”. 宮廻正明. 2020年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月20日閲覧。
- ^ “日本美術院、理事を処分 出品絵画が倫理規則違反”. 日本経済新. (2020年7月20日). オリジナルの2020-07-2 1時点におけるアーカイブ。 2020年7月20日閲覧。
- ^ “日本美術院、理事を謹慎処分 出品作がCDジャケットに類似”. 時事通信. (2020年7月20日). オリジナルの2020年7月21日時点におけるアーカイブ。 2020年7月20日閲覧。
- ^ “日本美術院、理事を謹慎処分に 出品作が他の作品に酷似”. 朝日新聞. (2020年7月19日). オリジナルの2020年7月21日時点におけるアーカイブ。 2020年7月20日閲覧。
- ^ “日本美術院、理事の東京芸大名誉教授を謹慎処分 作品が写真に酷似「道義上の責任」”. 毎日新聞. (2020年7月19日). オリジナルの2020年7月23日時点におけるアーカイブ。 2020年7月20日閲覧。
- ^ “日本美術院、理事を処分 出品絵画が倫理規則違反”. 産経新聞. (2020年7月20日). オリジナルの2020年7月20日時点におけるアーカイブ。 2020年7月20日閲覧。