宮崎 久(みやざき ひさし、1981年3月19日 - )は、日本陸上競技選手ボブスレー選手。専門は200m長崎県南串山町(現:雲仙市)出身。パリ世界陸上選手権男子陸上競技日本代表、ソチオリンピックボブスレー競技日本代表。

宮崎久 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム みやざき ひさし
ラテン文字 Hisashi Miyazaki
国籍 日本の旗 日本
種目 短距離走
大学 東海大学
東海大学大学院
生年月日 (1981-03-19) 1981年3月19日(43歳)
出身地 長崎県南串山町(現:雲仙市)
身長 183cm
体重 81kg
成績
世界選手権 200m 2次予選3組6着 (2003年
4x100mR 6位 (2003年)
地域大会決勝 アジア大会
4x100mR 2位 (2002年
国内大会決勝 日本選手権
100m 4位 (2010年)
200m 優勝 (2002年)
自己ベスト
100m 10秒28 (1997年, 2002年)
200m 20秒53 (2003年)
獲得メダル
陸上競技
日本の旗 日本
アジア大会
2002 釜山 4×100mR
世界ジュニア選手権
2000 サンティアゴ 4×100mR
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略歴

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別名「短距離界のQちゃん」。南串山町立南串中学校から福岡県立八女工業高等学校に進学。高校2年のときに100mで10秒28という学年別歴代最高記録を打ち立てる。しかしながら、高校3年のインターハイ予選では、支部大会準決勝で太ももの肉離れを起こし、個人種目でのインターハイへの道は断たれたものの、チームメイトが4×100mリレーで予選を突破したおかげでリレーのみ出場する事ができた。当時は39秒台で日本高校記録更新も十分可能と言われていたチームだけに、故障していたとは言え宮崎をリレーメンバーから外す事はできない状況だった。インターハイ決勝では第2走者として走ったが、途中で肉離れを再発してしまい、高校記録更新ならびに優勝はならなかった[独自研究?]

1999年、東海大学に進学。大学入学後は個人でタイトルを取れない時期が長く続き、出身、年齢、大学と3つ共通点のある仲のよい末續慎吾に競技成績を追い越されたりするなど、焦りの色を見せてはいたが[独自研究?]2002年関東インカレの200mで初の個人タイトルを獲得する。そして日本選手権200mで初優勝。釜山アジア大会では準決勝に終わった。2003年パリ世界陸上選手権代表に選出され、200mと4×100mリレーに出場。200mは1次予選2組で20秒79を記録し6着に入り予選通過。2次予選では3組で20秒70を記録したものの6着で落選し、準決勝進出を逃した。しかし、4x100mRで快進撃を見せる。予選2組で38秒77を記録して3着に入り予選を通過。準決勝では1組で38秒58の好タイムを記録して4着に滑り込み決勝進出。決勝では1~2走でバトンワークがやや乱れて39秒05とタイムは今ひとつ伸びを欠いたが、7位入賞を成し遂げた[独自研究?]

2014年1月、ソチオリンピックボブスレー競技の日本代表に選出された[1]

戦績

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  • 2002年
    • 日本選手権 100m 5位 (10秒36 +1.4)
    • 日本選手権 200m 優勝 (20秒99 +0.8)
    • アジア大会 200m 準決勝2組5着 (21秒07 +0.8)
    • アジア大会 4×100mR 2位 (38秒90 1走)
  • 2003年
    • 日本選手権 200m 3位 (20秒70 +0.6)
    • 世界選手権 200m 2次予選3組6着 (20秒70 +0.7)
    • 世界選手権 4×100mR 6位 (39秒05 2走)
  • 2004年
    • 日本選手権 200m 4位 (20秒83 +1.5)
  • 2005年
    • 日本選手権 200m 4位 (21秒37 0.0)

脚注

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外部リンク

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