宮城県仙台三桜高等学校

宮城県仙台市太白区にある高等学校

宮城県仙台三桜高等学校(みやぎけん せんだいさんおうこうとうがっこう)は、宮城県仙台市太白区門前町にある県立高等学校。通称は「三桜」(さんおう)あるいは「仙台三桜」(せんだいさんおう)、または女子校時代の校名を取った「三女」(さんじょ)。

宮城県仙台三桜高等学校
地図北緯38度14分4.2秒 東経140度52分36.3秒 / 北緯38.234500度 東経140.876750度 / 38.234500; 140.876750座標: 北緯38度14分4.2秒 東経140度52分36.3秒 / 北緯38.234500度 東経140.876750度 / 38.234500; 140.876750
過去の名称 宮城県第三高等女学校
宮城県第三女子高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 宮城県の旗 宮城県
校訓 自律・聡明・敬愛
設立年月日 1924年大正13年)4月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 2学期制
学校コード D104211040011 ウィキデータを編集
高校コード 04119A
所在地 982-0845
宮城県仙台市太白区門前町9-2
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要

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大正期に「宮城県第三高等女学校」として設立され、学制改革によって「宮城県第三女子高等学校」となった。2010年(平成22年)度より男女共学となり、校名を宮城県仙台三桜高等学校に変更した[1]。新校名における「三」は校訓の自律・聡明・敬愛を示し、「桜」は校地に広く植樹されて地域で親しまれているサクラに因んでいると説明されている[2]

新校名に取り上げられた同校の桜については

などのエピソードがある。

沿革

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1913年(大正2年)4月、宮城県師範学校女子部が分離・独立して宮城県女子師範学校となり、中島丁の現・宮城県宮城第一高等学校の校地に設置された(北緯38度16分6.8秒 東経140度51分6.7秒 / 北緯38.268556度 東経140.851861度 / 38.268556; 140.851861 (宮城県宮城第一高等学校(旧・宮城県第一女子高等学校)の現校地。宮城県女子師範学校(官立宮城師範学校女子部)、宮城県第二高等女学校(現・宮城県仙台二華高等学校)、同校、東北大学宮城師範学校附属中学校(現・宮城教育大学附属中学校)も同地を校地とした時期がある。))。当地は江戸時代には仙台藩の中級家臣武家屋敷が並んでおり[4]、比較的敷地が広い屋敷が多かった[5]が、仙台藩が戊辰戦争に敗戦して減封され、さらに廃藩置県秩禄処分で家臣たちは困窮したため、四民平等により身分によらない混住が進んだ世相において、当地および周辺の武家屋敷も士族の手から次々離れていき、中島丁では牧場になったり[4]、現・宮城県知事公館の地から尚絅女学校が移転してきたり、隣接する十二軒丁では八幡町小学校(現・仙台市立八幡小学校)が開校したりと、当時の状況では中心部への近さと広い敷地とが必要な産業である畜産業[6]や教育機関の用地への転用が進み、女子師範も当地に移転した。

1918年(大正7年)4月、女子師範の校内にさらに宮城県第二高等女学校(現・宮城県仙台二華高等学校)が設置されたが、1921年(大正10年)には同校の現校地に移転したため、替わって1924年(大正13年)4月に女子師範校内に同校の前身となる「宮城県第三高等女学校」が設置された。

戦後、学制改革により「宮城県第三女子高等学校」となり、一時期男女共学となったが女子校に戻った。一方、校内の宮城県女子師範学校は宮城県師範学校と統合して各々が官立宮城師範学校の女子部と男子部となり、さらに東北大学に包摂された。1950年(昭和25年)4月には旧女子部校地に男子部・女子部の両附属中学校(現・宮城教育大学附属中学校)が統合されて設置された。1953年(昭和28年)7月に同中学校が旧男子部校地(同中学校の現校地)に移転したため、替わって宮城県第一女子高等学校(現・宮城一高)が移転してきた。1957年(昭和32年)に三女は現校地(北緯38度14分4.2秒 東経140度52分36.3秒 / 北緯38.234500度 東経140.876750度 / 38.234500; 140.876750 (現校地))に移転し、旧校地は全て同校の校地となった。

浅野史郎宮城県知事(当時)が率先し、宮城県教育委員会が推進した共学化の提案について、全校集会での共学化賛成・反対の投票では99%が共学化反対の意を表明し、同窓会も反対を表明したが、2010年平成22年)に男女共学化され、校名を「宮城県仙台三桜高等学校」に改称した。

年表

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  • 1924年大正13年)4月1日 - 宮城県第三高等女学校設立
  • 1946年昭和21年) - 学制改革により5年制
  • 1948年(昭和23年) - 学制改革により宮城県第三女子高等学校となる
  • 1950年(昭和25年)4月20日 - 男女共学制を実施。仙台市内初の共学制[7]
  • 1952年(昭和27年)3月20日 - 男女共学制を廃止
  • 1953年(昭和28年) - 従来の校舎を宮城県第一女子高等学校と併用
  • 1955年(昭和30年) - 新校舎起工
  • 1957年(昭和32年) - 現在地に移転、現在の校旗・校歌制定
  • 2010年平成22年) - 再共学化し、校名を「宮城県仙台三桜高等学校」に改称。新入生281名のうち33名が男子。

設置学科

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キャンパス

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アクセス

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部活動

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音楽部
音楽部という名称ではあるが合唱専門である。全日本合唱コンクールおよびNHK全国学校音楽コンクールの両大会では例年好成績を修めており、合唱の強豪校として全国的に知られる。その実績を買われて、2003年(平成15年)には、菓匠三全CMにおいて同校出身の朝海ひかると共演し、森山直太朗のシングル『さくら』ではカップリング曲「さくら(合唱)」でバックコーラスを担当した。2010年(平成22年)には、MONKEY MAJIKのアルバム『MONKEY MAJIK BEST 〜10 Years & Forever〜』において「FOREVER」のバックコーラスを担当し、同年12月11日仙台サンプラザで行われたMONKEY MAJIKの全国ツアーのファイナルでも同曲のバックコーラスとして出演した。卒業生でつくる「宮城三女高OG合唱団」も海外遠征を含めて活動している[8]
  • 運動系
    • バレーボール、バスケットボール、体操、ソフトテニス、卓球、ハンドボール、ソフトボール、陸上競技、水泳、バドミントン、剣道、ワンダーフォーゲル、弓道
  • 文化系
    • 英語、書道、美術、音楽、写真、華道、手芸、演劇、茶道、放送、アニメ漫画研究、クッキング、文芸、ギター、化学、新聞、地学、生物、園芸
  • 同好会
    • 映画研究、JRC、フットサル

学校行事

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文化祭
体育祭
年2回行われるイベント。仮装しての行進は数年前まではあったが今はもう無い。
合唱コンクール
毎年、ホールを借り行っている。その際も、曲目に応じたコスチュームなどで登場する。上位クラスには板チョコが進呈される。

独特の風習

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同校を含む旧宮城県第一女子高等学校・宮城県第二女子高等学校・宮城県第三女子高等学校特有の風習として、『部名(ぶめい)』がある。これは代々から続くしきたり的な風習で、新入生が部活に所属した際に、先輩から「部活内部用のあだ名=部名」を命名されるというものである。

著名な出身者

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備考

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宮城三女高は戦後の一時期共学化したが、校名変更の許可が下りず、校名に「女子」が入ったまま共学化される異例の事態となった。このとき数名の男子生徒が入学したが、その男子生徒たちは全て他校に転校し、同校を卒業することはなかったため、同校を卒業する男子生徒は、再共学化一期生が卒業した2013年(平成25年)まで現れなかった。

脚注

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  1. ^ 校訓・校歌・校章・校旗は、三女時代のものを引き継ぐことが決まっている。
  2. ^ 学校案内「ご挨拶」(宮城県仙台三桜高等学校)
  3. ^ 仙台・宮城ロケ地マップ&デジタルラリー(映画『重力ピエロ』オフィシャルサイト)
  4. ^ a b 広瀬川の記憶vol.12「中島丁に牧場があった」(仙台市「広瀬川ホームページ」)
  5. ^ 古絵地図宮城県図書館
  6. ^ 当時は冷蔵庫が普及していなかったため、腐りやすい牛乳や肉を生産する畜産は消費地と近接していることが必要だった。仙台では当時、広瀬川沿いや、概ね北六番丁より北側の柏木・上杉、さらに小田原周辺に牛舎や養鶏場が多かった。
  7. ^ 『仙台市史』資料編7 「近代現代3 社会生活」P.160
  8. ^ 宮城三女高OG合唱団ホームページ 2013年1月13日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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