宮内府 (大韓帝国)
概要
編集1894年の甲午改革を機に設置された。日本の宮内省に倣った組織であるが、日本の宮中制度の一大原則であった「宮中府中の別」が存在しなかった。
例えば、宮内府は度支部(財務省に相当)とは別に租税を徴収したり、行政や司法に介入するなど「政府以上の政府」と呼ばれる始末であった。そして宮内府にたかる怪しい連中が宮中をたむろしていた。そのため設置当初の宮内府は、日本の宮内省とは似ても似つかない存在であった。韓国政府はこの窮状を打開するために、日本の大蔵官僚である目賀田種太郎を財政顧問として招聘し、財政改革を行うことになった。目賀田は皇宮警察制度を導入し、部外者の宮中立入を禁止した。そして各種税目の政府移管や放漫財政の洗い直しを行い、漸く宮中の債務完済に成功した。
組織
編集1907年(隆熙元年)時点
歴代宮内府大臣
編集- 李載冕
- 尹用求
- 李耕稙
- 李載冕
- 李載純
- 閔泳奎
- 李載純
- 尹用求
- 閔丙奭
- 閔泳奎
- 李載純
- 閔泳韶
- 閔丙奭
- 閔泳喆
- 李載克
- 李根湘
- 尹用求
- 沈相薰
- 李載克
- 朴泳孝
- 李允用
- 閔丙奭