宝泉寺 (秋田県羽後町)

秋田県羽後町にある寺院

延命山 宝泉寺(えんめいさん ほうせんじ)は、秋田県雄勝郡羽後町西馬音内字裏町に所在する曹洞宗寺院。なお、現代でもしばしば旧字体の寶泉寺で記される。

宝泉寺/寶泉寺
所在地 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内裏町130
位置 北緯39度12分3.8秒 東経140度24分11.6秒 / 北緯39.201056度 東経140.403222度 / 39.201056; 140.403222座標: 北緯39度12分3.8秒 東経140度24分11.6秒 / 北緯39.201056度 東経140.403222度 / 39.201056; 140.403222
山号 延命山
宗旨 曹洞宗
本尊 延命地蔵願王菩薩
創建年 寛正年間(15世紀
開基 梅栄元香
(黒石正法寺8世)
中興 柴田与之助
文化財 「五代の碑」ほか
法人番号 9410005002603 ウィキデータを編集
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沿革と概略

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室町時代寛正年間(1460年-1466年)に陸奥国磐井郡願成寺岩手県一関市釣山)の巌翁弘悦が当地を訪れ、零落している仏堂があるのをみて、これを再建、師の正法寺(岩手県奥州市黒石)8世梅栄元香を勧請して再興開山し、自身は2世となった[1][注釈 1]。山号は、本尊の延命地蔵願王菩薩より延命山と号した[1]。このような機縁により、宝泉山は磐井願成寺の末寺となったが、江戸時代に入って佐竹氏藩政下で、他領に本寺をおくことが禁止されたため、久保田藩の僧録所があった天徳寺秋田市)の仲介などにより、平鹿郡満福寺(横手市増田町)とともに秋田郡松原補陀寺(秋田市)の客末寺となった[1]

こののち、26世天露暁雲は、黒衣托鉢によって基金を集め、嘉永5年(1852年)に本堂を再建した[1]

境内

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境内には、経世家として知られる佐藤信淵の祖父、不昧軒佐藤信景(従五位、鉱山開拓者)の墓があり、山門側には東郷平八郎揮毫による「佐藤家五代の碑」がある[1][2]

ほかに、新派の演出家として知られる大江良太郎衆議院議員を5期務めた代議士飯塚定輔の墓がある[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 梅栄元香は、正法寺2世月泉良印の弟子で、磐井郡願成寺、雄勝郡宝泉寺のほか、平鹿郡満福寺を開いた。塩谷(1982)p.73

出典

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参考文献

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  • 井上隆明監修 著、塩谷順耳・田口勝一郎・千葉三郎ら編集 編『秋田人名大事典 第2版』秋田魁新報社、2000年7月。ISBN 4-87020-206-9 
  • 笹尾哲雄・伊藤武美・嵯峨稔雄ほか 著、秋田魁新報社出版局 編『心のふる里「秋田のお寺」』秋田魁新報社、1997年5月。ISBN 4-87020-167-4 
  • 塩谷順耳「禅宗の伝播と熊野信仰」『中世の秋田』秋田魁新報〈さきがけ新書〉、1982年10月。ISBN 4-87020-017-1