宝塚歌劇団9期生
宝塚歌劇団9期生(たからづかかげきだん9きせい)は、1919年(大正8年)に宝塚歌劇団(当時の名称は宝塚音楽歌劇学校/宝塚少女歌劇団[注釈 1])に入団し、1920年(大正9年)もしくは1921年(大正10年)に初舞台を踏んだ17名を指す[2]。なお1919年に入学したのは16人とされている[3]。
一覧
編集※同じ初舞台グループで分けている[2]。
1920年初舞台
編集芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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秋野たま子 | あきの たまこ | 1月15日[5] | 大阪府大阪市中央区[6] | 百人一首 | 1933年 | 姪は二代目・秋野たま子 | |||
泉蘭子 | いずみ らんこ | 7月25日 | 宮城県仙台市 | 東京家政女学校 | 百人一首 | 娘役 | 1921年 | 女優・澤蘭子[7] | |
奥山秋子 | おくやま あきこ | 大阪府池田市[8] | 百人一首 | 1923年 | |||||
尾上咲子 | おのえ さきこ | 東京都千代田区[9] | 百人一首 | 1923年 | |||||
桂よし子 | かつら よしこ | 3月7日[5] | 京都府京都市[10][9] | 百人一首 | ささき オカツさん |
男役 | 1938年 | 八期生ともされている[11]、後に花柳かつらと改名[11]。 | |
門田芦子 | かどた あしこ | 5月15日[5] | 愛知県名古屋市[12] | 金城女学校 | 百人一首 | チャマさん | 男役 | 1938年 | 断髪男役第1号 妹は門野まろや[13] 宝塚歌劇団・音楽学校寄宿舎舎監[14] 兄は宝塚歌劇団理事長・内山信愛[15]。本人は十一期生を自称している[16]。 |
巽寿美子 | たつみ すみこ | 9月10日[5][17] | 兵庫県神戸市須磨区[17][18] | 百人一首 | ミハラ | 男役 | 1926年に一度退団後、 復帰後、1935年 |
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奈良美也子 | なら みやこ | 1月1日[5][19] | 石川県金沢市 | 天王寺第一尋常小学校 | 百人一首 | ワァさん わーちゃん[20] |
男役 | 1939年 | 宝塚歌劇団日本舞踊指導・花柳禄也[21]。本人は十一期生を自称している[16]。入学時は最高の九十八点を記録した[22]、八期生ともされている[22][11]。 |
春野若子 | はるの わかこ | 大阪府堺市[23] | 百人一首 | 男役 | 1926年 | ||||
松山浪子 | まつやま なみこ | 新潟県[24] | 百人一首 | 1920年 | |||||
山川もみぢ | やまかわ もみぢ | 岡山県岡山市北区[8] | 百人一首 | 1923年 |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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淡島千鳥 | あわしま ちどり | 兵庫県伊丹市[25] | 百人一首 | 1928年 | |||||
松山律子 | まつやま りつこ | 大阪府大阪市中央区[26] | 百人一首 | 1923年 |
1921年初舞台・初舞台の公演演目不明
編集芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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高篠濱子 | たかしの はまこ | 奈良県磯城郡田原本町[25] | 百人一首 | 1925年 | |||||
美山小夜子 | みやま さよこ | 百人一首 | 1923年 |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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小野信夫 | おの しのぶ | 7月29日[5] | 兵庫県三田市[27] | 百人一首 | 男役 | 1933年 | |||
小山幸子 | こやま さちこ | 岡山県岡山市北区[25] | 湊山尋常・高等小学校 | 百人一首 | 1925年 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 90年史 2004, p. 180.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 100年史(人物) 2014, p. 7.
- ^ 宝塚少女歌劇廿年史91頁
- ^ 50年史 1964, p. 136.
- ^ a b c d e f 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年1月、154号
- ^ 橋詰 1923, p. 72.
- ^ 橋本 1999, p. 174.
- ^ a b 橋詰 1923, p. 73.
- ^ a b 橋詰 1923, p. 74.
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1934年8月、173号、P28
- ^ a b c 炉ばたの話、北条秀司、258~259頁
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1927年7月1日、88号
- ^ 80年史 1994, p. 196.
- ^ 橋本 1999, p. 195.
- ^ 宇佐見正「あゆみII (1933〜60)」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、92頁。
- ^ a b 歌劇1934年12月号20~21頁
- ^ a b 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年2月、155号
- ^ 橋詰 1923, p. 70.
- ^ 『婦人倶楽部』、講談社、1934年11月号
- ^ 『婦人倶楽部』、講談社、1934年11月号
- ^ 橋本 1999, p. 176.
- ^ a b 主婦と生活1964年3月号181~182頁
- ^ 橋詰 1923, p. 71.
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1929年1月1日、106号
- ^ a b c 橋詰 1923, p. 75.
- ^ 橋詰 1923, p. 68.
- ^ 橋詰 1923, p. 76.
参考文献
編集- 編集・発行:市橋浩二『宝塚歌劇五十年史』宝塚歌劇団、1964年5月1日。doi:10.11501/2504313。
- 企画・構成・執筆:橋本雅夫 著、編集統括:北川方英 編『夢を描いて華やかに―宝塚歌劇80年史―』宝塚歌劇団、1994年9月9日。ISBN 4-924333-11-5。
- 執筆:國眼隆一 著、編集:森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日。ISBN 4-484-04601-6。 NCID BA66869802。全国書誌番号:20613764。
- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。
- 橋詰せみ郎『寶塚の歌劇少女』新正堂書店、1923年12月5日。
- 橋本雅夫『素晴らしい宝塚歌劇―夢とロマンの85年―』阪急電鉄コミュニケーション事業部、1999年9月10日。ISBN 4-89485-013-3。