宝塚歌劇団3期生
宝塚歌劇団3期生(たからづかかげきだん3きせい)は、1915年(大正4年)に宝塚歌劇団(当時の名称は宝塚少女歌劇養成会)に入団し、同年または1916年(大正5年)に初舞台を踏んだ4名を指す[1]。
概要
編集一覧
編集※同じ初舞台グループでわけている[1]。
芸名[1] | 読み仮名[1] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 配属[1] | 退団年[1] | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
宇治朝子 | うじ あさこ | 8月3日[3] | 大阪府[3] | 百人一首 | 娘役 | - | 1918年 | 在団中に死去[4] |
芸名[1] | 読み仮名[1] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 配属[1] | 退団年[1] | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
高砂松子 | たかさご まつこ | 1月17日[5] | 鳥取県[5] | 百人一首 | 男役 | (花組)[注釈 1] | 1925年 | 俳優 妹は神代錦[6] 姪は代々木ゆかり[7] |
芸名[1] | 読み仮名[1] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 配属[1] | 退団年[1] | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
小川夏子 | おがわ なつこ | 百人一首 | - | 1919年 | ||||||
高濱喜久子 | たかはま きくこ | 1月25日[8] | 千葉県[8] | 百人一首 | 男女両役[8] | - | 1921年 | 夫は加賀二郎 |
脚注
編集注釈
編集- ^ 組分けがなされた後
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n 100年史(人物) 2014, p. 6.
- ^ 河原蓬『寳塚歌劇少女の生活』育文館書店、1922年11月25日、86頁。doi:10.11501/911938。
- ^ a b 藤波 1919, p. 96.
- ^ 100年史(人物) 2014, p. 76.
- ^ a b 藤山 1920, p. 140.
- ^ 100年史(人物) 2014, p. 29.
- ^ 高木史朗「宝塚美男美女伝(2)燕尾服を着た妖精たち」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、82頁。
- ^ a b c 藤山 1920, p. 139.
参考文献
編集- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。
- 藤波楽斎(藤波岩太郎)『歌劇と歌劇俳優』文星社、1919年7月1日。doi:10.11501/906129。
- 藤山宗利『日本歌劇俳優写真名鑑』歌舞雑誌社、1920年8月16日。doi:10.11501/914937。