宜寧郡(ウィリョンぐん)は、大韓民国慶尚南道

慶尚南道 宜寧郡
一鵬寺大雄殿と一鵬大師像
位置
各種表記
ハングル: 의령군
漢字: 宜寧郡
片仮名転写: ウィリョン=グン
ローマ字転写 (RR): Uiryeong-gun
統計(2023年
面積: 482.91 km2
総人口: 25,475[1]
男子人口: 12,668 人
女子人口: 12,807 人
行政
国: 大韓民国の旗 大韓民国
上位自治体: 慶尚南道
下位行政区画: 1邑12面
宜寧郡の木: イチョウ
宜寧郡の花: ツツジ
宜寧郡の鳥:
自治体公式サイト: 宜寧郡
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宜寧郡庁
咸安郡郡北面の南江右岸から望む鼎巌楼と旧鼎巌橋(宜寧邑)

歴史

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  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、陜川郡の一部(宮所面)が宜寧郡に編入。宜寧郡に以下の面が成立。[2](14面)
    • 宜寧面・嘉礼面・七谷面・大義面・華陽面・上井面・龍徳面・正谷面・芝正面・洛西面・富林面・鳳樹面・宮柳面・柳谷面
朝鮮総督府令第111号
朝鮮総督府令第111号
旧行政区画 新行政区画
宜寧郡風德面、德谷面 風德面
宜寧郡二嘉礼面、一嘉礼面 嘉礼面
宜寧郡大谷面、募義面 大義面
宜寧郡 徳岩面、龍岩面 龍徳面
宜寧郡禾谷面、一正東面 正谷面
宜寧郡芝山面、二正東面 芝正面
宜寧郡景山面、富山面、宝林面 富林面
宜寧郡佳樹面、鳳山面 鳳樹面
宜寧郡一柳谷面 宮柳面
陜川郡宮所面
宜寧郡二柳谷面、定谷面、能仁面 柳谷面
宜寧郡七谷面、華陽面、洛西面、上井面 (変動なし)
  • 1933年1月1日(13面)[3]
    • 華陽面の一部(中村里・下村里)が宜寧面に編入。
    • 上井面および華陽面の残部(上一里・上二里・釜谷里)が合併して華井面が発足。
  • 1979年5月1日 - 宜寧面が宜寧邑に昇格。[4](1邑12面)
  • 1983年2月15日 - 陜川郡赤中面の一部(墨方里・巻恵里)が富林面に編入。[5](1邑12面)
  • 1989年1月1日(1邑12面)
    • 陜川郡大陽面烏山里の一部が鳳樹面に編入。
    • 陜川郡三嘉面外吐里の一部が大義面に編入。
    • 鳳樹面の一部が富林面に編入。
  • 2003年7月16日 - 宮柳面のハングル表記を「궁면」から「궁면」に改称。

行政

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行政区域図

行政区域

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邑・面 法定里
宜寧邑朝鮮語版 大山里、万川里、東洞里、中洞里、西洞里、中里、上里、下里、茂田里、鼎岩里
嘉礼面朝鮮語版 嘉礼里、甲乙里、介承里、槐津里、修誠里、雲岩里、陽城里、鳳頭里、大川里
七谷面朝鮮語版 内槽里、外槽里、陶山里、山南里、山北里、新浦里
大義面朝鮮語版 馬双里、中村里、泉谷里、深池里、多士里、杏亭里、秋山里、新田里、下村里
華井面朝鮮語版 加樹里、徳橋里、上一里、石泉里、華陽里、上井里、上二里
龍徳面朝鮮語版 佳美里、竹田里、井洞里、梨木里、新村里、淵里、瓦要里、雲谷里、龍沼里、召湘里、橋岩里、佳楽里
正谷面朝鮮語版 佳峴里、白谷里、石谷里、礼屯里、赤谷里、中橋里、竹田里、五方里、城隍里、上村里
芝正面朝鮮語版 杜谷里、鳳谷里、城山里、太夫里、柳谷里、梧川里、得所里、馬山里、城堂里、白也里
洛西面朝鮮語版 来済里、阿近里、全火里、井谷里、栗山里、如意里
富林面朝鮮語版 甘岩里、墨方里、立山里、益口里、余背里、丹原里、大谷里、幕谷里、新反里、孫吾里、景山里、巻恵里
鳳樹面朝鮮語版 西得里、西岩里、新峴里、竹田里、清渓里、森佳里、天楽里
宮柳面朝鮮語版 桂峴里、碧渓里、雲渓里、坪村里、土谷里、鴨谷里、多峴里
柳谷面朝鮮語版 塘洞里、馬場里、上谷里、馬頭里、徳川里、上村里、松山里、世干里、漆谷里、烏木里、新村里

警察

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消防

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教育

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  • 宜寧高等学校
  • 宜寧女子高等学校(私立)
  • 新反情報高等学校
  • 龍徳初等学校

脚注

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  1. ^ 주민등록 인구통계 - 행정안전부”. 行政安全部. 2024年1月3日閲覧。
  2. ^ 朝鮮総督府令第111号(1913年12月29日
  3. ^ 慶尚南道令第17号(1932年10月31日
  4. ^ 大統領令第9409号 미금읍등53개읍설치에관한규정(1979年4月7日
  5. ^ 부림면 연혁[リンク切れ], 2012年8月6日 확인