宗像隆幸
来歴
編集1936年、鹿児島市に生まれる。1961年、明治大学経営学部を卒業。出版社勤務を経て、台湾青年社(後の台湾独立建国聯盟日本支部)に参加。月刊『台湾青年』の編集長を務める。筆名・宋重陽。アムネスティ・インターナショナル日本支部理事、台湾人元日本兵の補償問題を考える会幹事を歴任[1]。「台湾自救運動宣言」を発表し、自宅軟禁状態にあった彭明敏(台湾大学教授、後の総統候補)の台湾脱出に協力する[2]。台湾独立建国聯盟総本部中央委員、アジア安保フォーラム幹事[3]。2020年7月9日、東京で死去。享年84[4]。