安部井磐根
日本の政治家
安部井 磐根(あべい いわね、天保3年3月17日(1832年4月17日) - 大正5年(1916年)11月19日[1])は、日本の武士(二本松藩士)、自由民権運動家、政治家。衆議院議員(大成会→憲政本党)。
経歴
編集二本松藩士安部井又之丞の子として生まれる[2]。戊辰戦争の際には、奥羽諸藩の衆議所詰となり仙台や白石などを奔走したが、二本松城陥落の際に又之丞は自刃した。
戊辰戦争終結後、若松県に出仕し、少参事、典事を歴任したが、まもなくして辞職した。1874年(明治7年)、板垣退助らによって自由民権運動がおこると、これに呼応して一政社という政社を組織した。1878年(明治11年)、福島県会議員となり、議長に互選された。翌年には安達郡長に任命されたが、福島県令三島通庸と対立して辞職した。1886年(明治19年)、再び県会議員となり、議長を務めた。
1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は5回を数え、1902年(明治35年)に引退した。その間、1893年(明治26年)には衆議院議長星亨の汚職に対して弾劾演説を行い、星の除名のきっかけを作った[3]。星の後任の議長に副議長の楠本正隆が昇格すると、安部井が後任の副議長に就任した。
脚注
編集参考文献
編集- 木戸照陽編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年。