安藤 孝行(あんどう たかつら、1911年7月28日 - 1984年5月26日[1])は、日本の哲学者翻訳家岡山大学名誉教授。

安藤 孝行
人物情報
生誕 (1911-07-28) 1911年7月28日
日本の旗 日本愛知県西春日井郡
死没 1984年5月26日(1984-05-26)(72歳没)
出身校 京都帝国大学
学問
研究分野 哲学
研究機関 第四高等学校金沢大学立命館大学岡山大学
学位 文学博士
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経歴

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出生から学生時代

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1911年、愛知県西春日井郡豊山村(現:豊山町)生まれ。1929年、旧制・明倫中学校を出て、第八高等学校(文科甲類)に進学。1933年、京都帝国大学文学部哲学科に進んだ。大学では、田辺元らの指導を受ける。1936年に同大学を卒業し、大学院に進んだ。

哲学者、教員として

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1941年、第四高等学校教授に着任。太平洋戦争を経て、1949年に金沢大学助教授に就任。1951年、教授に昇格。1953年より立命館大学文学部教授。1958年からは文学部長を務めた。1956年、東京大学にて文学博士号を取得[2]。1967年、岡山大学教授に転じた。1975年に岡山大学を定年退官し、名誉教授となった。

受賞・栄典

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研究内容・業績

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俳句や和歌を嗜み、画集を出すなど多芸な人物であった[3]。専門は西洋哲学であったが、白雲山人と号し、独自の理論をもって詩文の翻訳を行った[4]

著作

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著書

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  • 『絶対自力の哲学』(東西文庫) 1948
  • 『綜合科学としての哲学』(近藤書店) 1950
  • アリストテレースの存在論』(弘文堂) 1958
  • 『形而上学 その概念の批判的概観』(勁草書房) 1962
  • エピクロスの園 存在と人間についての省察』(理想社、人生論ブックス) 1966
  • 『科学者と哲学者の対話』(理想社) 1966
  • 唐詩唱和』(白雲山人名義、明治書院) 1972
  • 『唱和の遊び』(桜楓社) 1974
  • 『アリストテレス研究 認識と実践』(公論社) 1975
  • ハイデッガーの存在論』(公論社) 1975
  • 神の存在証明』(公論社) 1980
  • 『存在の探求 古代中世の存在概念』(公論社) 1980
  • 『創造画集』(白雲山房) 1982
  • 唱和』(白雲山房) 1982
  • 『存在の忘却 近世の存在概念』(白雲山房) 1981、のち行路社 1989
  • 『存在の解明』(行路社) 1991

翻訳

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参考資料

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  • 日下耕三「現代教育の理想像としての安藤孝行」『奈良学園大学紀要』第4巻、奈良学園大学、2016年3月、137-149頁、CRID 1050564288887766272ISSN 2188-918XNAID 120005827870 

脚注

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  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ 安藤孝行『アリストテレス研究』 東京大学〈文学博士 報告番号不明〉、1956年。NAID 500000491522https://id.ndl.go.jp/bib/000010642850 
  3. ^ 「現代教育の理想像としての安藤孝行」において、教え子からみた安藤の思想や社会をどう見ていたか等の回想が述べられている。
  4. ^ 白崎秀雄『当世畸人伝』新潮社