安相洙
安 相洙(アン・サンス、1946年5月28日 - )は、大韓民国の政治家。仁川広域市長(民選3・4期)、第15・19・20代国会議員。
安相洙 안상수 | |
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生年月日 | 1946年5月28日(78歳) |
出生地 | 南朝鮮忠清南道瑞山郡 |
出身校 | ソウル大学校 |
所属政党 |
(新韓国党→) (ハンナラ党→) (セヌリ党→) (無所属→) (自由韓国党→) (未来統合党→) 国民の力 |
選挙区 |
(仁川広域市桂陽区・江華郡甲→) (仁川広域市西区・江華郡乙→) 仁川広域市中区・東区・江華郡・甕津郡 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1999年6月4日 - 2000年5月29日 2015年4月30日 - 2020年5月29日 |
仁川広域市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2002年7月1日 - 2010年6月30日 |
安相洙 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 안상수 |
漢字: | 安相洙 |
発音: | アン・サンス |
経歴
編集1946年5月28日、忠清南道瑞山郡(現・泰安郡)生まれ[1]。ソウル大学校卒業後、東洋総合金融証券取締役、LGユープラス取締役などを歴任。トロイ大学経営学修士[1]。
忠南の田舎で誕生したが、初等学校在学後、仁川の叔母の家に常駐し、大きな都市に留学することになり、その縁故で政界入門後、仁川地域に立候補することになった影響となった。
1996年4月に行われた、第15代総選挙で仁川広域市桂陽区・江華郡甲から新韓国党候補として出馬したが、新政治国民会議候補の李基文に敗れた。1998年に行われた、第2回全国同時地方選挙で仁川広域市長選に立候補するが、自由民主連合候補の崔箕善に敗れた。
1998年6月3日に、第15代総選挙で当選した李基文が当選無効となったために行われた、補欠選挙にハンナラ党(新韓国党が1997年に党名改称した政党)から出馬し、当選した。
2000年4月に行われた、第16代総選挙で再選を目指しハンナラ党から出馬するが、新千年民主党候補の宋永吉に敗れ落選した。
2002年に行われた、第3回全国同時地方選挙で仁川広域市長選に立候補し、当選した[2]。2005年に訪朝し、平壌市と共同で2014年アジア競技大会を誘致すると表明した[3]。2006年第4回全国同時地方選挙でも再選するが、3期目を目指し立候補した2010年第5回全国同時地方選挙で民主党候補の宋永吉に敗れ落選した[4]。任期中には、月尾銀河レールを建設するが手抜き工事のため運行できないままとなるなど、ばら撒き事業で仁川市の予算対する負債率は39%に達し、公務員の給料の支払いが遅れる事態となった[5]。2012年8月にはセヌリ党の全党大会で第18代大統領選候補に立候補したが、朴槿恵が選出され、安は最下位に終わった[6]。
2015年に、仁川市西区江華郡甲で当選したセヌリ党の安徳寿が失職したことにより、セヌリ党から立候補し、当選した。
2016年4月に行われた、第20代総選挙で仁川広域市中区・東区・江華郡・甕津郡から無所属で立候補し、当選した[7]。同年6月にセヌリ党に復党した[8]。
2020年4月に行われた、第21代総選挙で仁川広域市東区・弥鄒忽区甲で未来統合党から出馬するが3位で落選した。元々は激戦区の桂陽区甲から出馬すると宣言したが、未来統合党の戦略によりこの選挙区からの出馬となった[9]。
2021年7月1日、第20代大統領選挙の国民の力の党内選挙出馬宣言をしたが、中途脱落した。以後は党内予備選挙の競争者であった洪準杓への支持を表明し、洪の選挙本部の共同選挙対策委員長に委嘱されたが、洪も最終結果発表段階で尹錫悦に敗れた[10][11][12]。
しかし、大統領選挙の国民の力の党内選挙の過程において広報代行業者に約1億ウォンを渡したという理由で、2022年4月に公職選挙法違反の疑いで検察部門に起訴された。その後、裁判所は検察側が請求した拘束令状を却下したため、安は6月に実施される第8回全国同時地方選挙で、12年ぶりに市長職復帰を目標に仁川広域市長出馬を宣言し、選挙活動を行なったが、同年5月の党内選挙で劉正福に敗れ、出馬を断念した[13][14][15]。
その後、安が2022年大統領選挙の国民の力の党内候補者選挙の際、第21代総選挙で同じ選挙区から当選した議員が総選挙の時に世論操作を行ったという虚偽な情報をマスコミに流布させるように、当選議員の知人である上記の広報代行会社の代表に1億1,300万ウォンの金品を提供した疑いに対し、有罪の判決が出た。2023年9月8日、仁川地方法院刑事裁判部は安に対し、公職選挙法違反の疑いで懲役1年6か月、執行猶予2年の判決を言い渡した。また、同じ容疑で主犯格とされる安の後妻も懲役1年6ヶ月の刑を受け、法廷で拘束された[16]。
エピソード
編集先妻とは1983年に結婚した。もやもや病を患う妻は結婚の翌年に脳卒中で倒れて回復したが、1999年にまた倒れて植物人間となり、2010年11月に死去した[17]。その後、大邱出身の女性と再婚した[18]。
政治家の安商守とはハングル表記が同じであるのに加え、出生年、出身校、所属党派も同じであるため、韓国ではよく混同される[19][20]。
脚注
編集- ^ a b c “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年3月11日閲覧。
- ^ <総合>ハンナラ党が圧勝 東洋経済日報 2002年6月21日
- ^ 安相洙市長「北朝鮮との闇取引」めぐって議論 東亜日報 2005年6月6日
- ^ 首長交代の広域自治体、「人事の嵐」説で職員は針のむしろ 東亜日報 2010年6月8日
- ^ [社説]財政危機の自治体は政府と国民に頼ろうとするな 東亜日報 2012年4月5日
- ^ 「産業化と民主化を越え、国民幸福時代を開く」 与党大統領候補に朴槿恵氏選出 東亜日報 2012年8月21日
- ^ [社説]「尹相炫の復党」火をくべるセヌリ、来年の大統領選でも明け渡すのか 東亜日報 2016年4月26日
- ^ 与党、離党派の一括復党を決定 126議席で最大政党に 東亜日報 2016年6月17日
- ^ 강종구 (2020年3月7日). “'다시 무소속' 윤상현…한솥밥 먹던 안상수와 혈투 임박” (朝鮮語). 연합뉴스. 2022年5月26日閲覧。
- ^ “안상수, 대선 출마 선언 “정권교체로 공정·정의로운 나라 ”” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2021年7月1日). 2022年5月26日閲覧。
- ^ 배재성 (2021年10月12日). “안상수 “홍준표가 유일 대안…윤석열, 음해·모략 이겨낼지 걱정”” (朝鮮語). 중앙일보. 2022年5月26日閲覧。
- ^ “안상수, 홍준표 선대위원장 합류… ″이재명 이길 유일한 대안″” (朝鮮語). 시사위크 (2021年10月12日). 2022年5月26日閲覧。
- ^ “안상수 ‘홍보업자에 1억’ 건넨 혐의…검찰 “공직선거법 위반” 기소” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2022年4月22日). 2022年5月26日閲覧。
- ^ “심재돈 지지얻은 유정복 …안상수-이학재 단일화는 무산” (朝鮮語). 인천일보 (2022年4月17日). 2022年5月26日閲覧。
- ^ “국민의힘 안상수 전 인천시장 “유정복 지지” 밝혀” (朝鮮語). 인천투데이 (2022年5月17日). 2022年5月26日閲覧。
- ^ “안상수 집유, 아내는 법정구속됐다…'허위제보 해달라' 1억 제공” (朝鮮語). 중앙일보 (2023年9月8日). 2022年9月18日閲覧。
- ^ “안상수 前시장의 아름다운 결정” (朝鮮語). 매일경제 (2011年5月25日). 2023年9月6日閲覧。
- ^ 권성훈 (2021年10月4日). “안상수 '이재명 與 최종 후보 공격거리 많아 野 호재'” (朝鮮語). 매일신문. 2023年9月18日閲覧。
- ^ “안상수 시장, 동명이인 안상수 원내 대표 때문에 곤란” (朝鮮語). 기호일보(畿湖日報) - 아침을 여는 신문 (2010年3月24日). 2023年2月20日閲覧。
- ^ “정치인들 "동명이인(同名異人) 이라니까!"” (朝鮮語). 머니투데이(MONEY TODAY) (2010年9月16日). 2023年2月20日閲覧。
公職 | ||
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