安田巌
安田 巌(やすだ いわお、1910年3月31日 -1996年8月24日)は、広島県広島市出身の官僚、教育者。厚生事務次官、医療金融公庫総裁、安田学園理事長を歴任した。
広島の私学・安田学園創立者・安田リヨウの長男。戦後の1949年、厚生省保険局長に就任。戦時及び戦後の混乱で乱雑となった厚生年金台帳の整理に尽力し、また海外視察の経験を基にして台帳整理の機械化導入を指示した。1959年には厚生事務次官に就任。1960年、医療金融公庫総裁となる。退官後の1978年、母リヨウ死去に伴い安田学園理事長に就任。1996年、広島市内の病院で死去[1]。享年86。
学歴
編集- 広島県立広島第一中学校、旧制広島高等学校を経て
- 1933年(昭和8年)、東京帝国大学法学部卒業。
経歴
編集- 1933年(昭和8年) 、内務省に入省。静岡県属[2]。
- 1945年(昭和20年)、厚生省母子・体力各課長、長野県警察部長。
- 1946年(昭和21年)、厚生省大臣官房総務課長、秘書課長。
- 1949年(昭和24年)、厚生省保険局長。
- 1952年(昭和27年)、厚生省社会局長。
- 1959年(昭和34年)、厚生省事務次官。
- 1960年(昭和35年)、医療金融公庫総裁。
- 1969年(昭和44年)、定年退官。安田女子大学・同短期大学副学長。
- 1978年(昭和53年)、安田女子大学学長。
- 1980年(昭和55年)、勲一等瑞宝章受章。
- 1982年(昭和57年)、安田学園理事長。
- 1996年(平成8年) 、広島市内で死去。享年86。