安東宣季
安東 宣季(あんどう のぶすえ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武士。湊安東氏6代当主。
時代 | 室町時代後期 - 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天文2年(1533年)? |
別名 | 通称:湊二郎、湊左衛門佐入道 |
戒名 | 月堂 |
官位 | 左衛門佐 |
氏族 | 湊安東氏 |
父母 | 父:安東宗季 |
子 | 堯季 |
略歴
編集安東氏の系譜には様々な異伝があり、特に湊家は後に子孫が絶えたため系図が混乱している。先祖と同名を名乗る者も多く、途中改名もしばしば行われたこともあり、事績が混同していることも原因の一つである。そのような湊家の歴代当主の中、宣季は系図等の二次史料にしか明確に確認されておらず、寺社に残った一次史料には存在が確認されていない。
安東宗季の子として誕生。宣季の事績はほとんど残っていないが、大永4年3月7日(1524年4月10日)付けで細川高国が湊安東左衛門佐入道に出した礼状が残っている[1][2]。
没後は子・堯季が跡を継いだ。
出典
編集出典
編集- 塩谷順耳ほか 『新版県史 秋田県の歴史』 山川出版社、2001年、ISBN 4634320509
- 遠藤巌 「湊學氏所蔵秋田湊文書」『青森県史研究』第3号、1999年
- 佐藤隆「秋田藩家蔵文書と「戦国時代の秋田」」『秋田県公文書館研究紀要』第17号