安布知神社

長野県阿智村にある神社

安布知神社(あふちじんじゃ)は、長野県下伊那郡阿智村駒場にある神社。旧社格は郷社

安布知神社

参道と大鳥居
所在地 長野県下伊那郡阿智村駒場2079
位置 北緯35度26分51.3秒 東経137度44分42.9秒 / 北緯35.447583度 東経137.745250度 / 35.447583; 137.745250座標: 北緯35度26分51.3秒 東経137度44分42.9秒 / 北緯35.447583度 東経137.745250度 / 35.447583; 137.745250
主祭神 八意思兼命
譽田別命
須佐之男命
社格郷社
創建 368年仁徳天皇56年)
本殿の様式 三間社流造
別名 新羅明神社(旧称)
地図
安布知神社の位置(長野県内)
安布知神社
安布知神社
地図
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祭神

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歴史

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社伝によれば、368年仁徳天皇56年)、清坂に八華鏡を八意思兼命の霊代として拝祀し、「吾道大神宮」として創建された[1]。 数キロメートル離れたところに鎮座する延喜式内社阿智神社とは、古来より密接な関係にある。鎮座地の位置も、古代東山道「阿知駅」跡と推定される耕地を、眼下に一望する斜面にあり、706年慶雲3年)に八幡神(譽田別命〉を合祀する[1]。以後「よさか八幡」と呼称された時期あり。

1573年天正元年)に領主小笠原氏近江国三井寺より新羅明神(須佐之男命)を合祀して、新羅明神社として改称する[1]徳川家光より新羅明神の呼称にて、朱印地10石を寄進、以後将軍代替わり毎に、継ぎ目の朱印状が交付された[1]。現在の社殿は、領主宮崎氏により、1671年寛文11年)に再興された[1]。本殿は覆屋の中にあり、三間社流造。拝殿は1675年延宝3年)当社の神主、林氏により建立された。拝殿内の天井には、中央に雲龍図、その周囲には虎、竜、鯉等144点の格内天井絵が描かれている。元禄3年(1690年)参道入口に石の大鳥居が建立された。[1]一時期境内に、真言宗神光寺が建てられていたが、廃寺となり、仏像は長岳寺に遷した[1]

1872年明治5年)安布知神社に改称し、駒場村の村社となる[注釈 1]1932年昭和7年)郷社に昇格する[1]2015年平成27年)本殿と拝殿は県宝に指定される。社宝の八華鏡が京都国立博物館工芸室長久保智康氏により、奈良時代の唐式鏡「花禽双鸞八花鏡」と鑑定される[2]

境内

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  • ヒイラギの古木:昭和43年(1968年)に阿智村の天然記念物に指定された。指定時、推定樹齢250年。
  • サカキの古木:昭和43年(1968年)に阿智村の天然記念物に指定された。指定時、推定樹齢100年。
  • 狛犬:石段の左右
  • 戦没者慰霊碑
  • 手水舎

画像集

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現地情報

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所在地
交通アクセス

参考文献

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  • 『阿智村誌』、阿智村誌編集委員会、阿智村誌刊行委員会発行、1984年(昭和59年)
  • 『東山道の峠の祭祀』、市澤英利著、新泉社発行、2008年(平成20年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 安布知神社という名称は、1804年文化元年)に京都の神祇管領の宣旨により命名されていたが、明治以前には従来の呼称である新羅明神社で呼称されていた。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 阿智村誌. 阿智村誌刊行委員会発行. (1984年) 
  2. ^ 東山道の峠の祭祀. 新泉社発行. (2008年)