安州 (湖北省)
魏晋南北朝時代
編集508年(天監7年)、南朝梁により設置された南司州を前身とする。550年(大統16年)、西魏により南司州は安州と改称された。
隋代
編集隋代が成立すると当初は2郡4県を管轄した。583年(開皇3年)、郡制が廃すると、安州の属郡は廃止された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、安州は安陸郡と改称され、下部に8県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 | ||||||
州 | 安州 | 岳州 | 温州 | 応州 | 郡 | 安陸郡 | |||
郡 | 安陸郡 | 城陽郡 | 岳山郡 | 董城郡 | 梁寧郡 | 富水郡 | 平靖郡 | 県 | 安陸県 雲夢県 応城県 孝昌県 吉陽県 京山県 富水県 応山県 |
県 | 安陸県 吉陽県 |
雲夢県 応城県 |
孝昌県 | 京池県 | 角陵県 盤陂県 |
富水県 | 永陽県 平靖県 |
唐代
編集621年(武徳4年)、唐が王世充を平定すると、安陸郡は安州と改められた。742年(天宝元年)、安州は安陸郡と改称された。758年(乾元元年)、安陸郡は安州の称にもどされた。安州は淮南道に属し、安陸・孝昌・雲夢・応城・吉陽・応山の6県を管轄した[2]。
宋代
編集北宋初に安州は荊湖北路に属した。1023年(天聖元年)、安州は京西路に転属した。1041年(慶暦元年)、安州は荊湖北路に転属した。安州は安陸・孝感・雲夢・応城・応山の5県を管轄した。1119年(宣和元年)、安州は徳安府に昇格した[3]。