孝康章皇后
孝康章皇后(こうこうしょうこうごう、満洲語: ᡥᡳᠶᠣᠣᡧᡠᠩᡤᠠ
ᠨᡝᠰᡠᡴᡝᠨ
ᡝᠯᡩᡝᠮᠪᡠᡥᡝ
ᡥᡡᠸᠠᠩᡥᡝᠣ 転写:hiyoošngga nesuken eldembuhe hūwangheo、1640年12月31日 - 1663年3月20日)は、清の順治帝の側室で、康熙帝の母。姓はトゥンギャ氏(Tunggiya hala、佟佳氏)。
経歴
編集都統のトゥライ(Tulai、佟図頼、もとの名は盛年)の娘。順治9年(1652年)、後宮に入り、順治帝の庶妃(側女)となった。順治11年(1654年)、玄燁(後の康熙帝)を産んだ。
康熙帝が即位すると、皇太后に上った。康熙2年(1663年)、亡くなった。「孝康」と諡されて、孝陵に附葬された。その後、夫の諡を重ねて「孝康慈和荘懿恭恵温穆端靖崇文育聖章皇后」と加諡された。
伝記資料
編集- 『清聖祖実録』
- 『清史稿』