妻鳥村
日本の愛媛県宇摩郡にあった村
妻鳥村(めんどりむら)は、愛媛県の東予地方の宇摩郡にあった村。1954年(昭和29年)に川之江町、妻鳥村、上分町、金生町、川滝村、金田村の3町3村の合併、市制施行により川之江市となり、自治体としては消滅した。その後、川之江市は平成の大合併で四国中央市となり、現在に至っている。燧灘に面する。現在の四国中央市の北部、大小の製紙工場の集積する工場地帯となっている。
めんどりむら 妻鳥村 | |
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廃止日 | 1954年11月1日 |
廃止理由 |
新設合併 川之江町、妻鳥村、上分町、金生町、川滝村、金田村 → 川之江市 |
現在の自治体 | 四国中央市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 宇摩郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 川之江町、上分町、金生町、金田村、松柏村 |
妻鳥村役場 | |
所在地 | 愛媛県宇摩郡妻鳥村 |
座標 | 北緯33度59分32秒 東経133度34分18秒 / 北緯33.99231度 東経133.57153度座標: 北緯33度59分32秒 東経133度34分18秒 / 北緯33.99231度 東経133.57153度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集北を燧灘に面する漁村であった。現在は埋め立てられ、製紙工場となっている。
- 河川
- 契川
- 村名の由来
- 妻鳥は、中世から見られる名。妻鳥能登判官有道にちなむもの、妻鳥采女正友春にちなむものとの説などがある。
歴史
編集略史
編集江戸時代
めまぐるしく変遷を遂げているが、南方の四国山中に発見された別子銅山の運営の関係によるものである。
- はじめ松山藩領
- 1636年(寛永13年) - 一柳氏領
- 1643年(寛永20年) - 幕府領、松山藩預かり
- 1698年(元禄11年) - 今治藩領。
- 綿を産しており、「市」が立っていたとの記録がある。「綿市」の地名が残る。
明治以降
村の沿革
編集- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行に伴い、妻鳥(めんどり)村の区域をもって、宇摩郡妻鳥村(めんどりむら)が発足する。
- 1954年(昭和29年)11月1日 -川之江町、妻鳥村、上分町、金生町、川滝村及び金田村が合併し、川之江市が発足する。
妻鳥村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 妻鳥 ━━━━━━━妻鳥村━━━━━━━━━━━┓ ┃昭和29年11月1日 あ え ┃合併・市制施行 川之江村━川之江町━┳━━━╋川之江市━┓ 二名村━━━━━━━┛ ┃ ┃ い ┃ ┃ 上分村━━━━上分町━━━━┫ ┃ う ┃ ┃ 金生村━━━━━━金生町━━┫ ┃ 川滝村━━━━━━━━━━━┫ ┃ 金田村━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃平成16年4月1日 ┃新設合併 ┣四国中央市 伊予三島市━━━━━━┫ 新宮村━━━━━━━━┫ 土居町━━━━━━━━┛ あ – 明治31年12月21日 川之江村が町制施行、川之江町に い – 大正2年1月1日 上分村が町制施行し、上分町に う – 昭和23年4月1日 金生村が町制施行し、金生町に え – 昭和29年3月31日 川之江町が二名村を編入 (注記)妻鳥村以外の合併以前の系譜はそれぞれの市町村の記事を参照のこと。
地域
編集明治期に一村がそのまま「村」となったため、大字はなし。
昭和の合併により川之江市になってから、「妻鳥町」。
平成の合併により四国中央市になってからは、「川之江市」を「四国中央市」に読み替える。
- 例 四国中央市妻鳥町
学校
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産業
編集交通
編集国鉄予讃本線が村内を東西に横断しているが、村内には駅はない。最寄り駅:川之江駅
国道11号も鉄道と並行して走っている。
関連項目
編集外部リンク
編集- 愛媛県宇摩郡妻鳥村 (38B0030007) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ