奥村優之
福岡県北九州市出身の元教諭、サッカー指導者
奥村 優之(おくむら まさゆき、1955年2月23日 - )は、福岡県北九州市出身の元教諭、サッカー指導者[1]。
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名前 | ||||||
カタカナ | オクムラ マサユキ | |||||
ラテン文字 | OKUMURA Masayuki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1955年2月23日(69歳) | |||||
出身地 | 福岡県北九州市 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アンジュヴィオレ広島ゼネラルマネージャー 兼 監督を務めた。その後、ディアヴォロッソ広島の2023シーズンGM。
来歴
編集北九州市出身[2]。幼いころは野球少年だったが転校した先では野球部がなかったため、サッカー部へ入り以降サッカーを続ける[2]。
北九州市立大学卒業後、今後サッカーを指導していこうと教員を志し、以降は広島県の公立高校英語教諭(地方公務員)一筋で勤務した[2][3]。まず広島県立佐伯高等学校に赴任し、同校サッカー部(男子)を創設する[2]。
女子サッカー指導は、広島県立廿日市高等学校に赴任して以降のことで、同校にあった女子サッカー同好会を広島県内で初となる高校女子サッカー部として正式に立ち上げた[2][4][5]。1989年皇后杯では中国地域代表として初出場している[3]。のち広島県立広島皆実高等学校、広島県立祇園北高等学校に赴任し、それぞれ女子サッカー部で指導し、広島県内の高校女子サッカー強化に貢献した[1][3]。U-15女子広島県トレセン「広島女子ユース蹴命FC」や広島県国体成年女子でも監督を経験している[2][3]。2015年3月祇園北高教諭をもって定年を迎えた[3]。
一方、2011年祇園北高教諭時代にアンジュヴィオレ広島立ち上げにも参加し、創設時からゼネラルマネージャーに就任し、森下聖二を監督に招聘した[6]。2015年なでしこリーグ再編に伴いチームはなでしこ2部に所属、以降GM兼監督となった[7]。
略歴
編集- 広島県立佐伯高等学校教諭、同校男子サッカー部監督
- 広島県立廿日市高等学校教諭、同校女子サッカー部監督
- 広島県立広島皆実高等学校教諭、同校女子サッカー部監督
- 広島県立祇園北高等学校教諭、同校女子サッカー部監督
- 2012年 - 現在 : アンジュヴィオレ広島GM
- 2015年 - 現在 : アンジュヴィオレ広島GM兼監督
脚注
編集- ^ a b “アンジュヴィオレ広島 / 監督紹介”. なでしこリーグ (2015年). 2015年6月10日閲覧。
- ^ a b c d e f “原南体協だより”. 上第二町内会 (2015年3月). 2015年6月10日閲覧。
- ^ a b c d e “高校女子サッカーに貢献 「今後も発展に全力」 奥村さん、高田さんが退職 ”. 毎日新聞 (2015年4月9日). 2015年6月10日閲覧。
- ^ “「なでしこ」に続け! 広島で新チーム結成へ 女子サッカーに追い風”. 産経新聞 (2011年9月20日). 2011年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月10日閲覧。
- ^ “【女子チームのつくりかた】広島皆実高等学校”. なでしこブログ (2011年4月24日). 2015年6月10日閲覧。
- ^ “広島横川“女子サッカーチーム”の名称 及び 監督の発表!”. フレンドリースポーツ (2011年10月27日). 2015年6月10日閲覧。
- ^ “アンジュヴィオレ広島、新メンバーを加え、なでしこ2部で「目標として1位」掲げリスタート!”. ひろスポ (2015年3月8日). 2015年6月10日閲覧。