夸父
北方の地に棲んでいたとされる。
成都載天(せいとさいてん)という山に棲み、二匹の蛇を耳飾りにし、二匹の蛇を手に持っていたという[1]。
ある話では、夸父は太陽を追いかけて原野を走り、太陽が沈む谷まで追い詰めることが出来た。しかし、夸父は喉が渇いていたので黄河と渭水の水をすべて飲み干した。それでも渇きが癒やされなかったので、さらに北にある大澤(だいたく)という千里四方もある湖に行こうとしたが、その途中で死んでしまったという[2]。また、これとは別に応竜に殺された夸父がいたともいわれる[3]。
脚注
編集- ^ 『山海経』海外北経「夸父国在聶耳東,其為人大,右手操青蛇,左手操黄蛇。鄧林在其東,二樹木。」
和訳:夸父国は聶耳の東にあり、その人となり大きくて、右手に青い蛇をもち左手に黄色い蛇をもつ。鄧林はその東にあり、二本の樹木(の大きな林)。 - ^ 『山海経』海外北経「夸父與日逐走,入日。渇,欲得飲,飲於河、渭,河、渭不足,北飲大澤。未至,道渇而死。棄其杖,化為鄧林。」
和訳:夸父は太陽とかけくらべして入日を追った。口が渇いて水がほしくなり、河水(黄河の古称)と渭水で飲んだが、河水と渭水ではなお足らず、北の大澤で飲もうとして、到着せぬさきに道で渇いて死んでしまった。その杖を棄てると、(杖は)化して鄧林となった。 - ^ 『山海経』大荒北経「応龍已殺蚩尤,又殺夸父,乃去南方処之,故南方多雨。」
参考文献
編集- 草野巧『幻想動物事典』新紀元社〈ファンタジー事典シリーズ〉、1997年5月、141頁。ISBN 978-4-88317-283-2。