天門郡(てんもん-ぐん)は、中国にかつて存在した三国時代から南北朝時代にかけて、現在の湖南省張家界市常徳市にまたがる地域に設置された。

概要

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263年永安6年)、三国のにより武陵郡北西部の零陽の2県を分割して、天門郡が置かれた[1]。天門郡は荊州に属した。

のとき、天門郡は零陽・漊中臨澧澧陽の4県を管轄した[2]

南朝宋のとき、天門郡は澧陽・零陽・漊中・臨澧の4県を管轄した[3]

南朝斉のとき、天門郡は澧陽・零陽・漊中・臨澧の4県を管轄した[4]

589年開皇9年)、南朝陳を滅ぼすと、天門郡は廃止されて、松州に編入された。ほどなく澧州と改められた[5]

脚注

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  1. ^ 三国志』呉書三嗣主伝
  2. ^ 晋書』地理志下
  3. ^ 宋書』州郡志三
  4. ^ 南斉書』州郡志下
  5. ^ 隋書』地理志下