天下茶屋公園(てんがちゃやこうえん)は、大阪市西成区岸里東に位置する公園。

天下茶屋公園
天下茶屋公園の位置(大阪府内)
天下茶屋公園
天下茶屋公園の位置(日本内)
天下茶屋公園
分類 市営公園
所在地
大阪市西成区岸里東1-16
座標 北緯34度37分57秒 東経135度29分51秒 / 北緯34.63250度 東経135.49750度 / 34.63250; 135.49750座標: 北緯34度37分57秒 東経135度29分51秒 / 北緯34.63250度 東経135.49750度 / 34.63250; 135.49750
面積 8,052 m2
開園 1951年4月30日
運営者 大阪市
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概要

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大阪市営公園であり、1951年昭和26年)4月30日に開園した。面積は8,052 m2[1]

大阪都市計画の都市施設、都市計画公園[2]

所在地は1973年(昭和48年)の住居表示により天下茶屋及び松原通から岸里東になっている。

当地の歴史を伝えるものとして、是斎屋跡、阿倍寺塔刹柱礎石、旧町名継承碑(松原通一 - 三丁目)、明治天皇聖躅碑(旧天下茶屋是斎屋敷碑)、明治天皇駐蹕遺址碑が設置されている。

なお、当地の300 mほど南に天下茶屋跡がある。

是斎屋跡

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浪花百景より『天下茶やぜさい』。右上に和中散を作る歯車の一部が描かれている

当地にはかつて、寛永年間に近江の津田宗右衛門が開いた薬屋「是斎屋(ぜさいや)」があり、「和中散」という薬を商った[3]住吉街道に面した店で、薬湯をふるまい、街道の旅人達で大いに繁盛した[3]。芽木家の茶屋より繁盛したともいう。和中散は江戸時代に流行った漢方薬で、本家近江にあった[4]

しかし津田家は幕末までに衰微し、この屋敷は橋本尚四郎(元与力で明治以降当地を開発した)の手に渡る。明治元年4月20日と明治10年2月14日の2度、明治天皇住吉大社への行幸の途中に立ち寄り休憩しており、それに際して仮御休殿が新築され後に「紫雲楼」と名付けられた。大正時代になると屋敷の主は大阪砂糖業界の雄・高津久右衛門に代わり、腐朽ちた紫雲楼を撤去して「明治天皇駐蹕遺趾」という石碑が建立された[5]。この屋敷も大阪大空襲で焼失している。

所在地

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  • 大阪市西成区岸里東1-16

アクセス

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脚注

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  1. ^ 都市公園一覧表 大阪市
  2. ^ 都市計画公園区分規模番号:2・2・218、都市計画決定公園面積0.81ha
  3. ^ a b 文化・名所・旧跡”. 大阪市西成区役所区 (2009年3月16日). 2020年5月13日閲覧。
  4. ^ 和中散https://kotobank.jp/word/%E5%92%8C%E4%B8%AD%E6%95%A3コトバンクより2023年1月22日閲覧 
  5. ^ 「明治時代」30頁 西成区誌

関連項目

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