大野 謙一(おおの けんいち、1897年明治30年)4月[1][2] - 1968年昭和43年〉5月2日[3])は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。咸鏡北道知事。朝鮮総督府学務局長。

経歴

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大野謙弼の長男として山口県大島郡蒲野村大島町を経て現周防大島町)に生まれ[1]1901年(明治34年)家督を相続した[2]1897年(明治45年)高等小学校を卒業[4]1921年(大正10年)高等試験に合格し、朝鮮総督府に奉職する[1]江原道学務課長、江原道地方課長、平安南道地方課長、朝鮮総督府殖産局水利課長、黄海道財務部長、忠清北道警察部長、慶尚北道警察部長、朝鮮総督府学務局学務課長、慶尚南道内務部長、朝鮮総督府北京出張所長、朝鮮総督官房外務部長を経て、咸鏡北道知事に就任した[1]1942年(昭和17年)10月、朝鮮総督府学務局長に任じた[1][2]。1944年(昭和19年)退官した[4]

著作

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  • 『朝鮮教育問題管見』朝鮮教育会、1936年。

脚注

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  1. ^ a b c d e 帝国秘密探偵社 1943, 朝鮮23頁.
  2. ^ a b c 人事興信所 1943, オ138頁.
  3. ^ 日韓親和会 1968, 43頁.
  4. ^ a b 秦 1981, 504頁.

参考文献

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