寛政元年(1789年)に白河藩に仕え同7年(1795年)、藩主松平定信に画才を認められ谷文晁に入門。同10年(1798年)、白河藩御用絵師となる。『集古十種』の編纂に画人として加わり、西日本から東北まで諸国を遊歴して古宝物の模写を行った。
文化8年(1811年)、朝鮮通信使を迎えるため対馬に渡っているが、このとき以来巨野泉祐を名乗るようになった。文政6年(1823年)に定信が桑名藩に移封になるとこれに従った。
真景図・肖像画に優れた。
- 川延安直「定信と文晁 松平定信と周辺の画人たち」福島県立博物館 1992年
- 谷文晁『ふところ日記』
- 川延安直「御絵師巨野泉祐 勤功書について」 福島県立博物館研究紀要第10号 1996年