大道寺周勝

日本の戦国時代の武将。武蔵河越城代大道寺盛昌長男で、相模大道寺氏3代当主。鎌倉代官・河越城代を勤める

大道寺 周勝(だいどうじ かねかつ、?-永禄5年(1562年)?)は、戦国時代後北条氏の家臣。大道寺盛昌の嫡男。別名:重興(しげおき)。受領名駿河。通称は源六。

河越夜戦の後、河越城城代となった父・大道寺盛昌に代わって鎌倉代官となり、父の死後に河越城代となる。鎌倉の寺社領の検地を行うとともにその再建にも尽くした。天文23年(1553年)の武田信玄による駿河侵攻に対して北条氏康北条氏繁松田憲秀・大道寺周勝らをつれて今川義元の救援に駆けつけている。永禄元年(1558年)に行われた古河公方足利義氏鶴岡八幡宮参詣の際にこれを迎える準備を行っている。

永禄4年(1561年)の上杉謙信による河越城攻撃を防ぐのに功績があったが、間もなく死去したといわれている。

その後、息子の大道寺資親が家督を継いだ。