大谷 藤子(おおたに ふじこ、1901年[1]11月3日 - 1977年11月1日)は日本の小説家

大谷 藤子
(おおたに ふじこ)
1951年
誕生 (1901-11-03) 1901年11月3日
埼玉県秩父郡両神村(現・小鹿野町
死没 (1977-11-01) 1977年11月1日(75歳没)
職業 小説家
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 三田高等女学校
主な受賞歴 第5回女流文学者賞
第9回女流文学賞
配偶者 井上良雄
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来歴・人物

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1954年、林芙美子の三回忌に集まった女性の文学者たち。
前列左から、小山いと子森田たま、林芙美子の母、美川きよ川上喜久子円地文子大田洋子
後列左から、宇野千代、大谷藤子、三宅艶子城夏子壺井栄平林たい子由起しげ子村岡花子横山美智子佐多稲子芝木好子板垣直子大原富枝阿部光子、峯雪栄、森三千代

埼玉県秩父郡両神村(現小鹿野町)に生まれる[2]三田高等女学校を卒業したのち、東洋大学聴講生となるが、結婚のため一年でやめている。1927年海軍大尉井上良雄と結婚、広島県呉市に住む。1932年に離婚。

1933年高見順円地文子らと『日暦』を創刊[2]。1934年『改造』の懸賞小説に「半生」が当選[2](女性初)。翌35年発表の『須崎屋』とともに出世作となる。『山村の女達』(1939)、『谷間の店』(1946)など出身地秩父を題材にしたものが多い[2]短編を得意としたが、『青い果実』(1959)、『断崖』(1960)などの長編もある。

矢田津世子とは、お互い無名時代から家族ぐるみでの深い付き合いであった。のちに『日暦』に矢田を推薦し同人にしたのも彼女の尽力であった。 

1952年「釣瓶(つるべ)の音」で第5回女流文学者賞、1970年「再会」で第9回女流文学賞。

1977年11月1日、心不全のため東京共済病院で死去[3]、享年75。戒名は「文藝院故郷妙藤大姉」、生家近くの墓所に眠る。

著作 

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  • 『須崎屋』版画荘 1938
  • 『青花集』時代社 1940
  • 『山村の女達』昭和書房 1941
  • 『満洲のお友達』金の星社 1943
  • 『谷間の店』民友社 1947
  • 『若草日記』偕成社 1948
  • 『黒い襞』生活社 1948
  • 『早春の人』喜久屋書店 1948 
  • 『ゆく春の物語』金の星社 1949 
  • 『母の調べ』ポプラ社 1950 
  • 『灯のゆくえ』ポプラ社 1953
  • 『母紅梅』ポプラ社 1954
  • 『六匹の猫と私』竜南書房 1958
  • 『青い果実』角川書店 1959
  • 『断崖』雪華社 1960
  • 『最後の客 小説集』広済堂出版 1968
  • 『再会』中央公論社 1970
  • 『風の声 短篇集』新潮社 1977.11
  • 『大谷藤子作品集』原山喜亥・大谷健一郎編 まつやま書房 1985.6

出典 

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  1. ^ 近藤富枝『相聞 文学者たちの愛の軌跡』(中央公論社、1982年)所収「誄歌」によると、大谷藤子の葬儀の際、彼女の事典や小伝など全て1903年生まれとなっているが、実は1901年生まれであると親戚から明かされた。若く言っていた理由は親戚も分からないと言う。
  2. ^ a b c d 大谷 藤子(おおたに ふじこ) - さいたま文学館”. www.saitama-bungakukan.org. 2020年1月26日閲覧。
  3. ^ 「読売新聞」1977年11月2日朝刊23面

関連項目

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