大胡町 (前橋市)
群馬県前橋市の地名
大胡町(おおごまち)は、群馬県前橋市の地名。旧勢多郡大胡町大字大胡にあたる地名である[4]。郵便番号は371-0223[2]。面積は0.6561km2(2017年現在)[5]。
大胡町 | |
---|---|
前橋市民文化会館大胡分館「大胡シャンテ」 | |
北緯36度24分58秒 東経139度9分32秒 / 北緯36.41611度 東経139.15889度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 群馬県 |
市町村 | 前橋市 |
面積 | |
• 合計 | 0.65 km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,589人 |
• 密度 | 2,400人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
371-0223[2] |
市外局番 | 027[3] |
ナンバープレート | 前橋 |
地理
編集赤城山南麓に位置している。
河川
編集- 荒砥川
歴史
編集南北朝時代頃からある地名である。江戸時代に入ると、宮関村という名前となり、はじめは大胡藩領だったが、元和4年に前橋藩領、明和5年に幕府領、天明5年に前橋藩領となる。
南北朝時代の長楽寺文書に「大胡郷」、戦国時代の彦部文書に「大胡庄」との記載があるが、大胡郷・大胡庄の中に野中村、神塚村、三俣村、上泉・堰口(石関?)村、宇坪井村、長安(長磯?)村、小屋原村、今井村、大嶋村、片貝村、小嶋田村を含んでおり、現在の大胡町あるいは旧勢多郡大胡町よりもかなり広い範囲に及んでいたとみられる。
大胡城は宮関村の北、河原浜村(現河原浜町)に築かれ、その城下町が同村内に形成されていた。前橋藩領となっても、酒井氏の時代には大胡城下を置き、武家地なども維持されていたが、松平氏の代になると、城代を廃し、武家屋敷も取り去った。しかし、糸市が立ち、宿の機能も果たしていたため在郷町として発展した。
年表
編集- 1834年(天保5年)- 江戸時代の正式な名前の宮関村から大胡町となる。
- 1889年(明治22年)- 町村制が施行され、7ヶ村が合併し、群馬県南勢多郡大胡村大字大胡となる。
- 1896年(明治29年)- 郡統合(東群馬郡と南勢多郡の統合)により勢多郡になり、群馬県勢多郡大胡村大字大胡となる。
- 1899年(明治32年)- 大胡村が町制施行し大胡町が成立し、群馬県勢多郡大胡町大字大胡となる。
- 2004年(平成16年)- 平成の大合併で大胡町は宮城村、粕川村とともに前橋市に合併し、群馬県前橋市大胡町となる。
地名
編集世帯数と人口
編集2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大胡町 | 685世帯 | 1,589人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 前橋市立大胡東小学校 | 前橋市立大胡中学校 |
交通
編集鉄道
編集近隣の茂木町に上毛電気鉄道上毛線大胡駅があるが、町内には鉄道駅がない。
バス
編集赤城タクシーが運行を行っているデマンドバス方式のふるさとバスがある。[8]
道路
編集県道は群馬県道3号前橋大間々桐生線、群馬県道74号伊勢崎大胡線、群馬県道333号上神梅大胡線、群馬県道16号大胡赤城線が通過。
施設
編集避難所
編集出典
編集- ^ a b “人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2017年9月5日). 2017年6月24日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ “合併後の住所表示一覧”. 前橋市ホームページ. 前橋市役所. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “(平成29年版前橋市統計書(平成30年度刊)) 第2章 人口” (XLS). 前橋市ホームページ. 前橋市役所. 2019年6月24日閲覧。
- ^ 大胡町誌編纂委員会『大胡町誌』大胡町役場、1976年6月15日、154頁。
- ^ “前橋市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 前橋市ホームページ. 前橋市 (2019年2月1日). 2019年6月24日閲覧。
- ^ “ふるさとバス(デマンドバス・大胡,宮城,粕川地区)のご案内”. 前橋市 (2019年4月4日). 2019年6月24日閲覧。
- ^ “前橋市の避難所・避難場所”. 前橋市. 2020年9月27日閲覧。
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。