大纒長吉
大纒 長吉(おおまとい ちょうきち、1843年(天保14年[1]) - 1889年(明治22年)12月2日[1])は、現在の東京都出身で玉垣部屋に所属した大相撲力士。本名は竹馬 長吉[1]。7代出来山。最高位は関脇。
来歴
編集実家は神田の蕎麦屋で[1]、幼少期から体が大きく、玉垣部屋に入門。1856年(安政3年)1月に怪童力士として1場所だけ番付に載り、土俵入りをつとめた[2]。翌1857年(安政4年)に角界に入り直し、11月場所で序ノ口に就いた[1]。1867年(慶応3年)に入幕し、同期、同時入幕の境川浪右衛門(のち横綱)と出世を争い、その取組は人気を集めた[1]。番付を順調に上げ、1869年(明治2年)4月に小結に昇進、8年に渡って三役の座を維持し、1871年(明治4年)3月関脇に昇進した。1877年(明治10年)6月平幕に落ち、1882年(明治15年)1月に四股名を「出来山」と改め、1883年(明治16年)5月限りで引退した。引退後は検査役となり、出来山部屋を興し、門弟の育成に力を入れたが、1889年(明治22年)暮れに死去した。
脚注
編集関連項目
編集参考文献
編集- 『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。