大竹市強盗殺人事件
大竹市強盗殺人事件(おおたけしごうとうさつじんじけん)とは、1963年(昭和38年)12月16日に広島県大竹市で起こった強盗殺人事件。
犯人の梅川昭美(当時15歳)はこの16年後(1979年(昭和54年)1月26日)に三菱銀行人質事件を起こし、大阪府警察特殊部隊に射殺された。
概要
編集少年法と少年院の見解
編集あまりに無惨な強盗殺人だったため、成人であれば死刑又は無期懲役の厳しい刑が当然だったが、当時16歳になるまで2ヶ月ほどを残していた梅川は未成年に当たったため、少年法が適用されて少年院送致となり、僅か1年半で退院となった。
ただし、収監した少年院は梅川の性格を「このような資質の少年を社会に放任することはきわめて危険であり、積極的に規制する必要がある。この病的な人格はすでに根深く形成されており、矯正は困難であり、些細なことで反社会的行動や犯罪に結びつきやすく、累犯の可能性が極めて高い」と鑑定している。
犯人像
編集梅川は広島県大竹市小方向村生まれで、父が46歳、母が42歳という高齢で生まれた息子だった。しかもこの数年前に姉が夭折していたため、幼児期は可愛がられたという。しかし8歳のときに両親が離婚し、以後は極貧生活を送った。犯行を起こした1963年4月には広島工業大学附属工業高等学校へ進学したが1学期で退学し、その年の12月に凶行を起こした。出院後の1966年1月に大阪に移るが、1967年に父が死んだときも通夜・葬儀に顔を出すことはなかったという。
梅川はその後も非行を続けたといわれ、消費者金融などに多額の借金をしたという。1973年7月30日には上下二連式散弾銃を大阪市で購入した。そして1979年の三菱銀行人質事件でその散弾銃を使って凶行に至った。