大田原 建清(おおたわら たてきよ、宝永7年(1710年) - 享保16年1月29日(1731年3月7日))は、下野大田原藩の嫡子。第7代藩主・大田原扶清の三男。正室は内藤政森の娘。官位は従五位下、備前守。
宝永7年(1710年)生まれる。享保7年(1722年)徳川吉宗に初見し、享保9年(1724年)に叙任した。しかし、家督を相続することなく、享保16年(1731年)に早世した。享年22。
代わって弟の大田原友清が嫡子となった。