大田原庸清
大田原 庸清(おおたわら つねきよ)は、下野国大田原藩9代藩主。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦元年(1751年) |
死没 | 享和2年8月5日(1802年9月1日) |
改名 | 貞之助(幼名)、庸清 |
戒名 | 振宏院殿仙桟賢道大居士 |
墓所 | 東京都港区高輪の泉岳寺 |
官位 | 従五位下山城守、飛騨守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治、家斉 |
藩 | 下野大田原藩主 |
氏族 | 大田原氏 |
父母 | 大田原友清 |
兄弟 | 寿清、庸清、渡辺明、多田清定、芦野資豫 |
妻 | 松平長孝娘 |
子 | 光清、愛清、清徳ら |
略歴
編集宝暦元年(1751年)、第8代藩主・大田原友清の次男として生まれる(生年は宝暦3年(1753年)6月12日説がある)。長兄の寿清が宝暦6年(1756年)に早世したため、12月24日に世子となる。明和7年(1770年)12月16日に従五位下・飛騨守に叙位・任官する。安永4年(1775年)2月8日、父の隠居で家督を継ぎ、3月2日に飛騨守に遷任する。
系譜
編集父母
- 大田原友清(父)
正室
- 松平長孝の娘
子女