大沢基将
大沢 基将(おおさわ もとまさ)は、江戸時代前期の高家旗本。官位は従四位上・左少将。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和5年(1619年) |
死没 | 延宝6年7月20日(1678年9月5日) |
戒名 | 真光院殿 |
墓所 | 宿盧寺 |
官位 | 従四位上・左少将 |
幕府 | 江戸幕府 高家旗本 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
氏族 | 大沢氏(持明院家庶流) |
父母 | 父:大沢基重 |
兄弟 |
基将、尚親、基哲、土方勝次室、 中野弘吉室、松平乗延[1]室 |
子 | 養子:基恒 |
生涯
編集大沢基重の長男として誕生した。
寛永10年(1633年)2月19日、3代将軍・徳川家光に拝謁する。正保元年(1644年)、従四位下・兵部大輔に叙任され、奥高家に抜擢される。正保3年12月1日(1647年)、侍従に昇進する。
慶安3年(1650年)、父が没したため家督を継ぐ。その後は、たびたび京への遣いの任を果たした。明暦元年(1655年)10月9日、朝鮮通信使の日光参拝の準備に日光に出向いた。寛文2年(1662年)、京都を襲った大地震(寛文近江・若狭地震)が起こり、朝廷への機嫌伺いの遣いとして上洛した。寛文3年(1663年)3月25日、霊元天皇即位慶祝のため、松平直政と京都に上洛し、6月3日に従四位上・左少将に昇進した。
延宝6年(1678年)、相模国箱根塔ノ沢温泉で病の療養をし、同所で没した。子がなく、伊勢国津藩主藤堂高次の四男・基恒を養子にした。墓所は宿盧寺。
脚注
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