大沢 基之(おおさわ もとゆき)は、江戸時代中期から後期にかけての高家旗本通称は乙二郎、右京。官位従四位上侍従右京大夫

 
大沢基之
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦10年(1760年
死没 文政5年6月18日1822年8月4日
改名 定興、基利(初名)→基之
別名 通称:乙二郎、右京
官位 従四位上侍従右京大夫
幕府 江戸幕府 高家旗本
主君 徳川家治家斉
氏族 近藤氏→大沢氏持明院家庶流
父母 父:近藤英用、母:米津政容
養父:大沢定寧
正室:大沢定寧長女
基栄基昭基蒔基国
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生涯

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近藤英用の六男として誕生した。生母は継室の米津政容の娘。初名は定興、基利。

安永5年12月14日(1777年)、大沢定寧の死去により、末期養子として家督を相続する。実父・英用は大沢基隆の次男であり、定寧の叔父であった。安永9年(1780年)11月18日、10代将軍・徳川家治御目見する。寛政元年(1789年)7月1日、菊間詰となる。寛政4年12月16日(1793年)、高家見習に召しだされて、従五位下・侍従・右京大夫に叙任する。寛政6年(1794年)8月21日、高家職に就く。文化13年(1816年)5月21日、従四位下に昇進する。文化14年(1817年)6月21日、高家肝煎に就任する。文化15年(1818年)1月17日、従四位上に昇進する。

文政5年(1822年)6月18日、死去。享年63。

系譜

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子女は4男。

先代
大沢定寧
高家大沢家8代当主
1776年 - 1822年
次代
大沢基昭