大江美智子 (2代目)

日本の舞台女優。2代目大江美智子

二代目大江 美智子(おおえ みちこ、1919年2月20日[1] - 2005年7月)は、日本の女優である。急逝した先代から一座を引き継ぎ、女剣劇を成長させた舞台女優である[1]。初期の芸名は大川 美恵子(おおかわ みえこ)、本名は細谷 ヤエ(ほそや やえ)[1]

おおえ みちこ
大江 美智子
本名 細谷 ヤエ ほそや やえ
別名義 大川 美恵子 おおかわ みえこ
生年月日 (1919-02-20) 1919年2月20日
没年月日 2005年7月
出生地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市南太田町(現・南区南太田
国籍 日本
職業 女優
ジャンル 演劇、とくに女剣劇
活動期間 1934年 - 1970年
活動内容 1934年 大江美智子一座入団
1939年 二代目襲名
1942年 浅草進出
1970年 大江美智子一座解散
主な作品
雪之丞変化
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人物・来歴

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1919年(大正8年)2月20日神奈川県横浜市南太田町(現・南区南太田)に生まれる[2]

1934年(昭和9年)、満15歳で女剣劇の劇団「大江美智子一座」に入団、座長の初代大江美智子に師事し、芸名を「大川美恵子」とする[1]

1939年(昭和14年)1月6日、初代大江美智子が神戸での公演中に急逝し[3]、同年、二代目「大江美智子」を襲名した[1]1942年(昭和17年)、浅草に進出、同じく女剣劇のスター不二洋子と競うほどの人気を得る[1]

大衆性溢れる、女剣劇のスターとして一時代を築き、十八番とされた『雪の丞変化』の早替わりは大江の人気を不動のものとした。1956年(昭和31年)には小崎政房作「五ッ木の子守唄幻想」、村上元三作「天一坊」で芸術祭に参加し、大衆芸能部門・芸術祭奨励賞を受賞[4][5]。1960年代には映画にもゲスト出演したが、1970年(昭和45年)、緑内障による失明を宣告され、京都南座での公演を最後に先代から37年続いた一座を解散した[1]。 その後視力は回復をみせ、横浜に帰り弟子の岩本常美(芸名大宮寿美)らと大江美智子舞踊教室を開き、1973年(昭和48年)頃までは単独で舞台出演もした。1982年(昭和57年)には自伝『女の花道 - 早替り女剣劇一代記』(講談社)を出版した。2005年(平成17年)7月、心筋梗塞で死去。満86歳没。

フィルモグラフィ

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剣劇や舞台をテーマにした映画にわずかに出演した[6]

  1. ^ a b c d e f g 大江美智子〈2代〉講談社・日本人名大辞典、コトバンク、2009年10月30日閲覧。
  2. ^ 大江美智子(2代目) 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」コトバンク 2018年8月16日閲覧。
  3. ^ 大江美智子〈初代〉、講談社・日本人名大辞典、コトバンク、2009年10月30日閲覧。
  4. ^ 大江美智子『女の花道 - 早替り女剣劇一代記』講談社、1982年、カバーそでの著者紹介より
  5. ^ 昭和31年度(第10回)芸術祭賞一覧、2020年6月4日閲覧
  6. ^ #外部リンク欄、「大江美智子」リンク先、キネマ旬報、2009年10月30日閲覧。

外部リンク

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