大江正言
平安時代中期の貴族・歌人。弓削朝臣のち大江朝臣。文、大学允、従五位下。後拾遺詞花作者
大江 正言(おおえ の まさとき)は、平安時代中期の貴族・歌人。氏姓は弓削朝臣のち大江朝臣。大隅守・大江仲宣の子。官位は従五位下・大学允。
時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・大学允 |
主君 | 一条天皇 |
氏族 | 弓削朝臣→大江朝臣 |
父母 | 父:大江仲宣 |
兄弟 | 清言、正言、嘉言、以言 |
経歴
編集文章生から、勘解由判官・大学允・右馬助を歴任し、位階は従五位下に至る。また、国司として出雲国に下ったこともあった[1]。
和歌に親しみ、能因と親交が篤かった他[2]、長徳元年(995年)長徳の変後に大宰府に左遷させられた藤原伊周を護送する弟・嘉言と同道して、伊周に和歌に贈っている[3]。勅撰歌人として『後拾遺和歌集』に2首、『詞花和歌集』に1首の計3首が採録されている[4]。
官歴
編集脚注
編集参考文献
編集- 村瀬敏夫「大江正言」(『平安時代史事典』角川書店、1994年 ISBN 978-4-04-031700-7)
- 井上辰雄『平安儒家の家 大江家のひとびと』塙書房、2014年 ISBN 978-4-8273-1265-2 第10章「大江嘉言と正言」